【札幌・中島大嘉ヒストリー〈上〉】苦しんだ中学時代「支えてくれた」母へ尽きぬ感謝

北海道コンサドーレ札幌FW中島大嘉(20)が「中島大嘉ヒストリー」を語った。「最終目標はバロンドールを獲ること」を掲げている二十歳のサッカー人生の“序章”。上下編の2回で紹介する。上編は映画デビュー!? を果たした小学生時代、学校にあまり行けなかった中学生時代をメインに。「俺のお母さんはマジ最強」と、家族への感謝の気持ちが原動力だ。

サッカー

〈保坂果那の札幌レター〉

22年5月の鹿島戦でボールを追う中島(左)

22年5月の鹿島戦でボールを追う中島(左)

映画にもなった「すごい有名な小学校」

俺が生まれた2002年6月8日はW杯日韓大会の時。生まれた日も試合があった。

長居(現ヤンマースタジアム長居)はめっちゃ近くて家から徒歩10分。そこでも試合をやっていた。物心ついた時には公園で1人でボールを蹴っていた。生まれた時から、生まれる前から、サッカーのために生まれてきたのかなって人生。

小学1年になって7月くらいに満を持して友達が行っていたクラブチームに入って、そこから本格的にサッカーを始めた。小学校6年間チームでサッカーをして、大阪ではちょっと有名くらい。そんなに飛び抜けてはいないけど。

昔からめっちゃ変わった人間だった。小学校でもずっと先生に怒られていたし。自分の小学校はすごい有名で、大阪市大空小学校って「みんなの学校」っていうドキュメンタリー映画にもなった。

小6年の時に。そこで俺が友達を殴ってる映像が流れるんですけど、その映画がいろんな賞をとっていて。木村泰子校長先生(当時)がすごい人。今は全国で講演会とかをしてるらしくて、すごい自分の個性を淘汰(とうた)せずに伸ばしてくれる小学校だった。

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スポーツ

保坂果那Kana Hosaka

Hokkaido

北海道札幌市生まれ。2013年から高校野球などアマチュアスポーツを担当し、2016年11月からプロ野球日本ハム担当。
2017年12月から北海道コンサドーレ札幌担当。冬季スポーツの担当も務め、2022年北京五輪ではノルディックスキー・ジャンプや複合を取材。