【札幌・中島大嘉ヒストリー〈上〉】苦しんだ中学時代「支えてくれた」母へ尽きぬ感謝
北海道コンサドーレ札幌FW中島大嘉(20)が「中島大嘉ヒストリー」を語った。「最終目標はバロンドールを獲ること」を掲げている二十歳のサッカー人生の“序章”。上下編の2回で紹介する。上編は映画デビュー!? を果たした小学生時代、学校にあまり行けなかった中学生時代をメインに。「俺のお母さんはマジ最強」と、家族への感謝の気持ちが原動力だ。
サッカー
〈保坂果那の札幌レター〉
映画にもなった「すごい有名な小学校」
俺が生まれた2002年6月8日はW杯日韓大会の時。生まれた日も試合があった。
長居(現ヤンマースタジアム長居)はめっちゃ近くて家から徒歩10分。そこでも試合をやっていた。物心ついた時には公園で1人でボールを蹴っていた。生まれた時から、生まれる前から、サッカーのために生まれてきたのかなって人生。
小学1年になって7月くらいに満を持して友達が行っていたクラブチームに入って、そこから本格的にサッカーを始めた。小学校6年間チームでサッカーをして、大阪ではちょっと有名くらい。そんなに飛び抜けてはいないけど。
昔からめっちゃ変わった人間だった。小学校でもずっと先生に怒られていたし。自分の小学校はすごい有名で、大阪市大空小学校って「みんなの学校」っていうドキュメンタリー映画にもなった。
小6年の時に。そこで俺が友達を殴ってる映像が流れるんですけど、その映画がいろんな賞をとっていて。木村泰子校長先生(当時)がすごい人。今は全国で講演会とかをしてるらしくて、すごい自分の個性を淘汰(とうた)せずに伸ばしてくれる小学校だった。
それが今の自分の人間性につながってるかなみたいな。メディアデビューはそれですね。殴ってるシーンはしっかり映ってる。俺も悪いけど、ケンカしてるところを撮られていて、先生に抑えられている。
個性とか人と違う考え方とかを尊重してくれるところだった。その小学校のおかげで今、メディアとかで注目していただけているキャラとかを培ったというか、伸ばせたかなと思う。
生きるのがしんどかった…、俺この先どうなるんやろって
小さい時から集団生活が苦手で。だから小学校もたまに行きたくなくて休んだりしていた。小学校を卒業して、中学校に行って、俺、中学3年間のうち半分も学校に行っていないんですよ。鬱(うつ)で。
1年の終わりくらいから行かなくなって、3年夏からちょくちょく行きだした。2年は出席日数7日くらいしか行っていない。始めの1週間だけ行ったみたいな。
今日は学校に行くって決めていても、朝起きたら体が動かなくて行けない。でもちょっとしたらすぐ動く。鬱ってホンマにきついんですよ。死にたいけど、死にたいとも思わない。でも生きたくない。死ぬのは怖いから嫌だけど、でも死に方とかを調べたりして、死にたくないけど生きたくない。生きるのがしんどいし。
だから先が見えない。その時期はサッカーもやっていない。何をしていたか、中学の時の記憶が本当にない。
自己分析してみた結果、多分感受性が豊かで繊細なんです。しかも中学生って多感な時期じゃないですか。いろいろあったけど、目を手術してしばらくサッカーをやってなくて、復帰したらみんなに追い抜かされていた。それがめちゃくちゃショックだった。タイミングはそれが一番かな。
いろんなことが積み重なって。別に飯も食いたくないし、寝たくもない。睡眠欲もないから、夜遅くまで起きて昼夜逆転して。夜中までテキトーにYouTubeとか見て、でも別におもしろくない。おもしろくないけど、やることないからYouTubeとか見て夜中2時3時くらいに寝て、次の日昼過ぎに起きるみたいな。その繰り返しだった。
ほとんど外も出てなくて、先のことを考える余裕がない時期が1年くらいあったけど、ちょっとテンションがマシなタイミングで、俺この先どうなるんやろって思った時期があった。波があるので。
手をさしのべることが、救いじゃないこともある
この先どうやって生きていくのかなって思った時に、サッカーしかないわって。サッカーで生きていけなかったらホンマに生きていかれへんって思って、またサッカーを始めた。だから俺の人生って本当にサッカー中心にまわっている。それで頑張れてちょっとずつ復活した。
薬で治すのが嫌だった。自分で治したいと思ったので時間がかかった。病院には1回も行っていない。先生とかいろんな人にとりあえず病院に行け、行ったら楽だからって言われたけど、そんなのもしたくない。動きたくないから。
そういう時って「お前、俺のことわからんやん」ってなる。救いの手をさしのべることが救いじゃないこともある。経験上。何もしないで欲しい時もある。
いろんな時期があった。俺、サッカー引退したら先生になりたいんですよ。先生っていうか、若い人たちと関わりたい。俺みたいな。今はピッチ上でいろんな人に夢とか勇気とか、生きる活力を少しでも与えられたらいいって思ってサッカーをしている。
引退したらそれをもっと近くでいろんな人と関わって、恩着せがましい言い方をすると、助けたいみたいなところがある。
お母さんを幸せにするためにサッカーをしている
あの時期もあって良かったと思う。身長めっちゃ伸びたし。寝てたから。中学3年間で25センチくらい伸びた。意識が高い時期があって、1年の時は夜10時に寝るって決めて、9時から電子機器に触らない。
8時に風呂入って、上がってストレッチして、9時から電子機器触らず10時に寝るって生活を1年間したら身長がめっちゃ伸びた。だから努力なんですよ身長。この体は自分でつかみとったものなんです。
お母さんがすごい支えてくれた。すごい苦しかったと思う。俺のお母さんが俺のお母さんじゃなかったら、多分死んでたと思う。お母さんにはすごい感謝していて、だから親孝行せなアカン。
世界で一番俺が。俺のお母さんはマジ最強。身体能力高くて、まあまあきれいなんですよ。身長170センチあってスタイル良くて、頭も良くて阪大(大阪大)出身。弟2人妹1人の俺たち4人きょうだいを育ててくれたので。
俺はお母さんを幸せにするためにサッカーをしている。家族を守るために。それが頑張る力になるし、やらなアカンですわ俺。
中島大嘉(なかしま・たいか)
2002年(平14)6月8日、大阪府生まれ。大阪市大空小1年でアイリスFC住吉でサッカーを始め、大阪市三稜中時代はリップエースに所属し、長崎・国見高に進学。3年時の20年に札幌の特別指定選手に登録、21年プロ入り。J1通算18試合2得点。父優さんも国見出身でFW大久保嘉人氏の1学年先輩。伯父は元Jリーガー豪氏。188センチ、88キロ。利き足は「頭」。国見のかつてのトレードマーク丸刈り頭は、シーズン10得点を達成するまで継続する予定。
過去を公にして前に進む姿に驚きと感動/取材後記
「日刊スポーツPREMIUMに特集ページを載せたい」とお願いしてみると、「うれしいです!」と快くOKしてくれた。テーマは本人に決めてもらおうと思い、簡単に4つ提案してみた。
<1>中島大嘉のサッカー人生
<2>中島大嘉のメンタル面に迫る
<3>中島大嘉の意外な一面に迫る
<4>これまでの苦労エピソード
世間のイメージではポジティブで明るい元気キャラだが、たまに自らを奮い立たせるように、前向きな言葉を懸命に口にしているような印象を受けていた。だから私自身は<2>や<3>に興味があった。すると、「多分自分の人生的に4つを1個でしゃべれる。自分の人生を追ってしゃべると全部の要素が入ってくる」と言って、冒頭の生まれた日の話からスタートした。
中学時代の話は初めて聞いた。苦しんだ時期もあったけど、現在こうしてJリーガーとなっている。驚きと感動があった。ただ、公にしていい話なのか勝手に心配になった。聞くと「全然、全然。むしろ。恥ずかしいことじゃないですよ。学びです。鬱だったけど、鬱って悪いことじゃないってこと」ときっぱり。
その通りだ。もし今、同じ経験をしている人にこの記事が届き、勇気や希望を与えるきっかけになれば。私もそう願っているし、これまでよりさらに、中島の活躍を期待する気持ちになった。
下編はメンタル面の自己分析、クラブへの愛、プロ3年目となる今季へかける思いについて紹介する。
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北海道札幌市生まれ。2013年から高校野球などアマチュアスポーツを担当し、2016年11月からプロ野球日本ハム担当。
2017年12月から北海道コンサドーレ札幌担当。冬季スポーツの担当も務め、2022年北京五輪ではノルディックスキー・ジャンプや複合を取材。
