【ブルーペナント〈18〉上編】中村敬斗 毎日楽しくて仕方ない 名門で磨かれた個性

今夏のワールドカップ(W杯)北中米大会を目指す日本代表選手の源流をたどる連載「ブルーペナント」。FW中村敬斗(25=スタッド・ランス)は中学1年生から5年間、千葉県我孫子市から東京の名門・三菱養和サッカークラブに通いました。個性を大事にする指導者、生方(うぶかた)修司チーフコーチ(57)との出会いがあり、今につながる左からのカットインシュートという技を磨き上げました。今も交流が深い恩師が中村の原点を明かします。2回連載でお届けします。

サッカー

◆中村敬斗(なかむら・けいと)2000年(平12)7月28日、千葉・我孫子市生まれ。地元の高野山サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、小学4年生から柏レイソルのジュニアチームに加入。しかし小学6年で再び高野山SSSへ戻り、中学1年から三菱養和へ。ジュニアユース、ユースを経て高校2年だった18年にガンバ大阪とプロ契約。19年7月からトウェンテ(オランダ)、シントトロイデン(ベルギー)、LASK(オーストリア)などを経て23年8月にスタッド・ランス(フランス)に移籍した。U―17W杯など世代別代表を経験し、A代表は23年3月のウルグアイ戦でデビューし、昨年10月にはブラジル相手にゴールも決め歴史的勝利に貢献。国際Aマッチ通算24試合10得点(26年3月31日イングランド戦終了時点)。180センチ、73キロ。


◆生方修司(うぶかた・しゅうじ)1968年(昭43)10月13日、横浜市生まれ。岩崎中1年でサッカーを始め、FWとして国士舘高時代はインターハイ東京都予選で3位。国士舘大に進学し、名将・大澤英雄監督が率いたサッカー部に所属した。サッカースクールでのアルバイトをきっかけに卒業後、公益財団法人三菱養和会の職員となり、中学・高校の指導を一貫している育成のスペシャリスト。日本代表の相馬勇紀、望月ヘンリー海輝(以上町田)も指導した。日本サッカー協会公認A級コーチジェネラル(日本スポーツ協会公認コーチ4)を保持。

2025年11月、日本対ボリビア 後半、右足でチーム3点目のゴールを決める中村

2025年11月、日本対ボリビア 後半、右足でチーム3点目のゴールを決める中村

ひと目見て「コイツはやばいな」

「もう時効だから言いますけど…」

生方チーフの口から意味深長な言葉が出た。

我孫子からやってきた小学6年生。その姿は今も鮮明に覚えている。

もともと地元のエリートが集う柏レイソルのジュニアチームに所属していた。そんな有望株がなぜ、遠く離れた東京・巣鴨のクラブまでやってきたのか?

「敬斗の近所の子がうちのユースに通っていました。小さい頃から一緒に遊んでいるような、敬斗よりも全然歳上なんですけども。ちょうどその時期に敬斗がレイソルをやめて、元々いた少年サッカーチームに戻った。普段の公園だったり、道端で一緒になってサッカーやっていたようです。その先輩から僕のところに話があった。ウブさん、ちょっと僕の地元ですごいサッカーうまくて面白いやついる。養和に入りたいって言っているんですけど、見てくれませんかって」

生方チーフは当時中学1年生を担当していた。その話に興味を持った。独断で小学生の中村を練習に呼び入れたという。

「もう見た瞬間に、コイツはちょっとやばいなって。本当にボールタッチが柔らかくて、これは将来が楽しみだなと思いました」

付き添っていた両親に、その場でジュニアユースのセレクションを受けるように伝えた。

三菱養和サッカークラブの生方チーフコーチ(撮影・江口和貴)

三菱養和サッカークラブの生方チーフコーチ(撮影・江口和貴)

スポーツを通じ人間性を養う

三菱養和と言えば、ヨーロッパのクラブをモデルとして創設した日本にあるクラブチームのパイオニアだ。

「養和の精神により、スポーツの普及振興を通じて、国民の心身の健全な発達に寄与し、豊かな人間性を涵養(かんよう)することを目的とする」とうたい、1975年(昭50)に東京・巣鴨にスポーツセンターが設立。そこから総合スポーツクラブとしての活動が始まった。

サッカーだけでなく水泳、体操なども抱えている。その由緒正しさからJリーグアカデミーと並び、サッカー少年たちが憧れを抱く人気クラブである。

「本人と親御さんにはもう内々で絶対取りますので、ぐらいの話をしました。もう時効だから言いますけど…。そういうのは今までないです。セレクションをやる前から、彼だけはっていうぐらい特別でした。絶対に欲しい。ウチでやったら、すっげぇ面白い選手なんじゃないかなっていうのは思いました」

ユニホームにつけられる三菱養和スポーツスクールのエンブレム=2026年2月28日

ユニホームにつけられる三菱養和スポーツスクールのエンブレム=2026年2月28日

「僕はドリブルを磨きたい」

そもそもそんな逸材がなぜ柏をやめたのか?

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スポーツ

佐藤隆志Takashi Sato

Tokushima

1968年(昭43)生まれ、徳島県出身。91年入社。
希望したスポーツ部に在籍し、2010年サッカーW杯南アフリカ大会、12年ロンドン五輪など取材。デスクを経て現場に戻り、再び大好きなサッカーを取材、執筆しています。
少年時代に読売クラブのジョージ与那城のプレーに魅了され、同じくヒゲをはやしたバルデラマ(コロンビア)のトリッキーなプレーにハートをわしづかみにされる。フリット(オランダ)は憧れの偉人。好きすぎて入社後に髪型をまねたところ「ドレッド」と呼ばれたのは懐かしい思い出です。
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