【矢後 引退会見全文】希望を持って手術を受けたが元通りにはならなかった

元幕内で西三段目22枚目、矢後(32=押尾川)が、東京・両国国技館の記者クラブで、師匠の押尾川親方(元関脇豪風)同席のもと引退会見を行いました。

その全文をお届けします。

大相撲



引退会見に臨む矢後。右は師匠の押尾川親方(撮影・小沢裕)

引退会見に臨む矢後。右は師匠の押尾川親方(撮影・小沢裕)


西岩親方ただ今より矢後の引退会見を行います。はじめに、師匠よりご挨拶があります。


押尾川親方本日は場所中の大変お忙しい中、矢後の引退の会見にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。現役約9年間、一生懸命頑張ってくれました。まだまだ長い人生があると思います。今後とも皆様ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。本日はどうぞよろしくお願いします。

西岩親方続きまして、矢後よりご挨拶があります。

矢後お疲れ様です。昨日引退させていただきました相撲協会関係者の方々や記者クラブの皆様、今まで応援してくださったたくさんの方々に感謝しています。どうもありがとうございました。

西岩親方それでは、代表質問に移ります。NHK三瓶アナウンサー、よろしくお願いします。

引退会見に臨む矢後(撮影・小沢裕)

引退会見に臨む矢後(撮影・小沢裕)

―それでは、まず代表から質問させていただきます関取9年余りの相撲人生、本当にお疲れ様でした。昨日、最後の相撲を取り終えて、今どんなお気持ちでいらっしゃいますか。

矢後昨日、今場所は負け越しましたけど、最後勝って、自分の左四つ相撲で勝ったんで、すっきりした気持ちで終わることができたのでよかったかなと思います。

―9年あまりのこの大相撲の人生でした。振り返って

矢後一言で言うのは難しいんですけど、関取も経験できて、幕内までいくこともできて。元々大学のころ、アマチュア時代に痛めたひざもあったので、どこまで通用するかわかんなかったんですけど、やれるだけやってみようっていう気持ちもあって。最後までやりきれたと思います。

祝賀会で化粧まわしを横に笑顔を見せる矢後(2019年1月29日撮影)

祝賀会で化粧まわしを横に笑顔を見せる矢後(2019年1月29日撮影)

―引退というのはいつぐらいから頭の中にありましたか

矢後もうここ2、3年はずっといつか上がれるんじゃないかと。頑張ってればまたいつか戻ると思ってやってきましたが、もうここ数場所ちょっと成績も良くなくて、先場所親方と相談しました。そこで決めました。

―やはりケガが一番大きな要因でしょうか

矢後はい、そう思います。

新入幕を果たし自身の番付を指さす矢後(左)と師匠の尾車親方(2018年12月25日撮影)

新入幕を果たし自身の番付を指さす矢後(左)と師匠の尾車親方(2018年12月25日撮影)

―腰や両ひざなどにケガがありましたが、一番苦しかったのはどのあたりですか

矢後右膝が…、一番最初に、中学のころに痛めた右ひざの影響はやっぱり大きかったと思います。

―手術も何度かされていますが

矢後希望を持って手術という選択をしたんですけど、なかなかそれでも元通りにはならなかったというか、厳しい状態っていうのは変わりはなかったです。

―昨日、最後の相撲を取り終えて、花道で入門同期の友風関が迎えてくれました。あの時はどんな思いでしたか

矢後元々同じ部屋に入門して同級生ですし、高校時代から高校、大学と対戦もあるんで、一番特別な…人、でもなんて言うんですかね、ライバルというか、ずっと一緒にやってきたんで、ちょっとそうっすね、友風のことを思うとちょっと泣けますね。やっぱり。

―いい思い出、苦しかった思い出、たくさんあると思います。振り返ってどんなことが一番思い出されますか

矢後そうですね。小さいころから10歳で相撲を始めて、最初、尾車部屋に入って、押尾川部屋に入ってよかったなと思います。

尾車部屋入門が決まった中大・矢後太規(中央)は、師匠になる尾車親方(右)、中大の先輩にあたる前頭豪風とポーズをとる(2017年2月7日撮影)

尾車部屋入門が決まった中大・矢後太規(中央)は、師匠になる尾車親方(右)、中大の先輩にあたる前頭豪風とポーズをとる(2017年2月7日撮影)

―のちほどうかがいます。師匠にうかがいます。大学の後輩でもありますが、引退という形になります。師匠としては今どういう思いでいらっしゃいますか

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。特別編集委員室所属。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。