今回のゲストは、ボートレースをその個性で盛り上げる“アウト屋”小川晃司選手(51=福岡)。解説には同期の原田富士男選手(51=福岡)にもお越しいただきました。

ボートレーサーを目指したのは、『ネクタイ締める仕事じゃなくて、汗をかく仕事がしたかった』から。「おやじが3交代で働いとって、油の匂いがするその作業着が大好きやったんよねー。だけん、俺も“こっちがいい!”って思ったと。ちょうどそん時、母親がやっとった喫茶店に来るお客さんから『コマイ(小さい)やろ。競艇あるよ!』って聞いて、全く知らん業界やったけど受けたら受かりました」と、入所までの経緯を話してくれました。

同期の原田富士男選手(右)と肩を組んでポーズを取る、6コースのスペシャリスト、小川晃司選手
同期の原田富士男選手(右)と肩を組んでポーズを取る、6コースのスペシャリスト、小川晃司選手

出発の日、サッカー部の友人20人くらいが駅に来て“万歳”をして見送ってくれたというまるでドラマのような光景に「俺、丸坊主でさ、ブルートレインに乗ってからボロボロ涙出たもんね」という小川少年が、本栖で新たに出会ったのが富士男少年でした。

『お互いにお互いの目を気にしないで言いたいことは言い合えるし、この人の言葉なら素直に聞ける!』というおふたり。「俺ねー、人見知りでうまく話せんで、いろいろ包んで話してしまうけん(俺との会話は)拾ってねー。で、あとは富士男君が代弁してくれるけん」と私を気遣って下さいつつも、とってもシャイな小川選手。

インタビュー中も「僕は多勢が大好きなんで。少数派よりも多数派が」と意外な言葉が飛び出したので、失礼ながら「でも多数派の選手ではないですよね?」とお尋ねすると、富士男選手が大笑いしながら「俺が説明しちゃろか?」と助け舟を出して下さいました。せっかくなのでここからは、そんなおふたりのやりとりも含めてお楽しみください♪

レースを終えて、ピットに引き揚げてきた小川晃司選手
レースを終えて、ピットに引き揚げてきた小川晃司選手

小川選手 コースっちゅうことでしょ? うーんとね…。

富士男選手 俺が説明しちゃろか?

小川選手 うん(笑)。

富士男選手 あのねー、だんだん経験年数が上がる新鋭戦の時に、6コースから5コース、5コースから4コースっていうのを先輩たちに教わったり見たりしてみんな勉強するんよ。そん時はもちろんこいつも一緒にやりよったんやけど、失敗して怒られるんよね。そしたらこいつ『何で怒られないかんと?! もういい、俺はコース取らない』って最初はそこから。

小川選手 それはかっこ良すぎ(の説明)よ。ただ、勉強はしよったけど、頭がついていかんやったけん、もう1回外行こう! って思って。でもちょうどその頃に戸田の新鋭戦で出遅れしたんですよ。6コースから出遅れ! そこから出遅れするんやから内行ったら…ねぇ(笑)。ずっと6コースで行こうと思ったのはホントそこからです。ただ、たまたま外行ってすぐA級になったし初優勝したしで結果がずっとついてきた。それだけ。だからアワカツ(阿波勝哉)とか沢(大介)みたいに、跳ねてこんなペラで…とかいう全然特別なことはしてないと。

富士男選手 確かに人と違うことをしたかといえば、(コース以外)そうじゃないね。でも、たまたまじゃない。そこは単純に言うたらウデなんやけど、レースも整備もプロペラもこの人できるんよ、基本的に昔から優等生やから。

小川選手 まぁ、普通にしとって子供ん頃から標準よりは上やったけど、普通にやってきたんよ。みんなと一緒に段階は踏んできたし…だから多勢。

戸田の出遅れをきっかけに気持ちを切り替えられて、外からのレースに集中できて結果が出たことで、(6コースが)“自分のコース”と言えるこだわりになったと話して下さいました。ただ、その難しさを尋ねると…。

小川選手 うーん。今と昔と全然違うけん…………。

とかなり考えこんでる様子。それを見て、再び富士男選手がフォローして下さいます。

富士男選手 昔はまだね、バチーンってスタート決めたらまくって勝てたりしよったけど、今はもうそういうエンジンやないんでそういうペラにしないと着が拾えんしねぇ。でもそういうペラにすると道中が乗れんから、6コースから勝つていうのはすごい展開にも左右されるんよね。今は特に。

小川選手 でもやっぱ入ったら配当は高いけんね。外は脇役やけど、3等までにはおりたいんですよね。競った2等、3等。『あーなんかこいつ最後に10センチでも勝つんやないかな?!』みたいな競り勝つというかレースに参加してるというか…やっぱそこにおりたいんよね。

富士男選手 他の選手たちはやっぱ小川さんと競ったら嫌ですって言うもんね。“小川晃司”って名前はそういうところがすごいと思うし、ホントは『6コースから見とけ! 俺を見とけ!』っていうのがずっとあるのに、それをこれっぽっちも人には出さない。昔、僕が心折れた時があって、めったにそんなことないんやけど、初めて仕事について話した時にこいつが『俺ね、競艇好きなんよ。お前も好きやろ? 頑張ろう!』って言ってくれたことがあってね。ホントは“ボート=命です”っていうくらい好きなんやけど、それを誰にも出さんのよね。やっぱできる子やけん小川晃司っていうブランドを崩さんようにしとるんかねぇ。

というと、小川選手も「あー、変な汗出てきた(笑い)」と言いながら、その日一番の自然な笑顔を見せてくださいました。

最後に『これから』を尋ねると「ずっとボートレースしてたいです!!」と素直に話してくれた小川選手。

富士男選手が「レース好きやろ?」と聞くと「うん。レース好きよ。この職業大好きよ」と生涯大外、名脇役でありたいとの決意を語ってくれました。

 
 

小川選手のお母様方のおじさまは、厚地正信さんという芸術家。北九州市立美術館にはその作品が野外彫刻(4つの四角なオベリスク)として展示されています。