高谷雅彦は青森競輪場の顔である
高谷雅彦は青森競輪場の顔である

今期から再びA級を走る高谷雅彦(52=青森)が川崎前検日の6日、笑顔で検車場に入ってきた。初日は予選3Rに出走。青森ラインの前で自力発進し、まずは準決進出を目指す。

91年4月にデビューし、今年でプロ34年目を迎えるが、心身ともに、まだまだ若い。若い頃は「マー坊」と呼ばれ、北日本の先輩たちにかわいがられた。さすがに今、こう呼ぶ人はいなくなったが「なんか年を重ねるごとに、競輪が楽しくなっているんですよ」と言葉に実感を込める。時代とともに「自分より、ひと回りもふた回りも若い選手と対戦することで、学ぶことは多い。強くても、どこかに隙はあるはずだからさ。それを考えながら走っている」と、レースを走るたび「気付き」を得ているようだ。

青森支部の支部長を務めて10年が過ぎる。その中で昨年9月に青森で行われたG2共同通信社杯は、激しく感動したという。「決勝は5000人くらい集まったんだよ。その中で(新山)響平が先行してさ、お客さんも大歓声を上げて熱狂してたよね、結果は2着だったけど、あれは本当に良かった、しびれたよ」と、今も感動覚めやらぬ様子で振り返った。

90年代、高谷は特別競輪の常連だった。G1とG2を合わせて95勝、決勝には12度も進出している。当時は数少ない北日本の先行選手として、孤軍奮闘で引っ張ってきた。忘れられないのが95年に青森で開催されたG1全日本選抜で、高谷は2着に入っている。だから、新山に言った。「響平は地元G2で2着だけど、オレは地元G1の2着だからな」と。しかし、新山にはこう返されたという。「でも、僕はG1を1つ取ってますからね」。そう教えてくれると、うれしそうに笑った。

進歩と変化を重ねながら、30年以上も戦い続けて、今がある。高谷は今、心の底から競輪を楽しんでいる。【鈴木豊】