からつボートでは、G1「開設65周年記念 全日本王者決定戦」が3日から6日間、開催される。昨年に念願のSG初優勝を飾った地元の峰竜太、昨年の賞金王・桐生順平ら有力選手が集結する。地元の若手・武富智亮(29=佐賀)は今年1月の当地周年で優勝戦1枠を得ながら、痛恨のピット離れ遅れが響いて5着に終わった。その無念を晴らす。地元勢では宮地元輝、森永淳らも気合十分だ。

 あの悔しさは忘れない。1月29日のからつ周年優勝戦。武富智亮にとって実質、初の周年参戦で、G1初優出の舞台だった。しかも優勝戦1枠。行き足、伸び抜群のエース機36号機を手にして節間は機力を味方に白星を量産していた。優勝まで、あと1勝まで迫ったが、チャンスを生かせなかった。

 「それまでが出来過ぎでした。でも、あの優勝戦は悔しかったです。支部の先輩からも応援してもらっていたのに…」

 一瞬の隙を狙われた。ピット離れでやや後れを取ると、逆にピット離れの良かった新田雄史にインを奪われた。深川真二も2コースへ動く。武富は3コースへ。初のG1優出で冷静さを取り戻せなかった。1MはF2の深川がへこんでまくり差しの展開となったが、武富は握る選択をする。結果的にインの新田と大競りとなってしまった。張り詰めた緊張感も夢も、一瞬にして崩れた。

 「3コースになって、まくると決めていた。まくり差しは考えていなかった。今思えば、まくり差しもありましたね。せっかくなら勝ちたかったです」

 目の前に迫ったG1初優勝は、お預けになった。無念の思いでピットに揚がってきた時、佐賀支部の選手は温かかった。

 「深川さんには『よう頑張った。まだチャンスはあるぞ』と言ってもらえた。申し訳ない気持ちになりました」

 その優勝戦は、次節以降への糧になった。直後の2月のルーキーシリーズ(平和島)では自身2回目の優勝を飾る。そしてその後も好調をキープしている。

 「毎節やれることはやれていると思う。自分の中では出来過ぎかもしれませんが、このリズムを切らさないようにしていきたい」

 佐賀支部の若手のホープはA2とB1の間を行ったり来たりの連続だった。優出回数は多くても優勝はできなかった。伸び悩んだ時期は長かった。17年の後半に入ってから調子を上げ、17年7月の住之江タイトル戦で念願のデビュー初優勝を飾る。エンジンの素性に逆らわない調整が実った。

 「伸びがあるなら伸び、回り足がいいなら回り足を重視。良かったものを生かしていった方が結果が出ている」。落ち着き払ったピットでの行動は、レースでもプラスに働いている。

 ボートレーサーを志したのは、高校2年の時だった。ソフトテニスをやめた後だった。アルバイトに明け暮れていた。土木科だったこともあって、高校を卒業後は測量士を目指すつもりだった。きっかけは、先生のひと言だった。

 「高校時代は特に何もすることがなかった。高校の1つ上に梅崎(恵美・引退)さんがいて、先生から『お前も目指せ』と言われました」

 08年11月からつ一般戦でデビュー。初勝利も初優出も地元だった。練習も重ねてきた場所だけに、からつ水面への思い入れは、いっそう強くなる。悔しい優勝戦から3カ月後に、再び地元周年の出場機会を得た今、気持ちは前向きだ。

 「地元というのもあるし、負けたくないです。先輩からも『からつでは負けるな』と言われています」

 今回の周年を含め、G1戦線で活躍できれば1つの目標も達成できる。

 「自分の中ではSGカッパを着たいというのがあります。これは結果を出さないと着ることができませんからね」

 今度こそ最高の結果を手にする。今回のからつ周年は前大会のリベンジの場であり、明るい未来へつながる場所でもある。

 ◆武富智亮(たけどみ・ともあき)1988年(昭63)10月23日、佐賀県生まれ。103期生として08年11月からつでデビュー。09年4月からつで初勝利。17年7月、住之江タイトル戦で初優勝。同期に深谷知博、小野生奈、黒井達矢らがいる。163センチ、51キロ。血液型O。