三谷竜生(31=奈良)が亡き母にささげる涙のKEIRINグランプリ(GP)初優勝を飾った。前を託した脇本雄太の打鐘前先行に乗り、2度目の挑戦で競輪界の頂点に立った。日本選手権(ダービー)高松宮記念杯(宮記念杯)に続くGP優勝。これで山田裕仁(引退)が持っていた年間獲得賞金最高記録も更新した。平成最後のGPで三谷が輪界史に輝かしい大記録を打ち立てた。

残り1周半、三谷竜生は先頭に立った脇本雄太にピタリと続く。ダービー、宮記念杯でも経験した無風の番手。最終2センターで清水裕友のまくりをひと振りで止めると、最終4角から全力でペダルを踏み込んだ。ゴール後は2万人を超える観衆の声援を浴び、わずかに左手を上げて応えた。「本当に、素直にうれしかった。ダービーも宮記念杯も今日もしっかりラインができた結果。近畿の強さを改めて実感できた」。見届けた兄将太は「ありがとう、最高!」と、満面の笑みで表彰式を映すモニターを見つめていた。

亡き母へささげる勝利だった。今年10月5日の寛仁親王牌初日に、母・湖雪(こゆき)さんが61歳で他界。親王牌を控え、同1日に誕生祝いをしたばかりだった。だが、訃報を知っても、寡黙にレースを走り抜いた。「本当に感謝しています。もう少し一緒にいたかったなって…。今年は頑張るという気持ちでいた。恩返しができたんじゃないかと…」。在りし日の顔を思い浮かべて、目を真っ赤にして声を震わせた。夫、そして息子3人が競輪選手という一家を支えてくれた母へ、GPの栄誉は最高の贈り物になった。

記録ずくめの年になった。史上7人目のダービー連覇を含むG1・2勝、そしてGP制覇で、史上8人目の年間獲得賞金2億円レーサーになった。年間賞金2億5531万3000円は、山田裕仁の2億4434万8500円の記録を1000万円以上も塗り替えた。「記録を抜けたのは何というか、うれしい。物欲がないので何か記念になるものを買いたい」と笑顔を見せた。

来年に向けて「1年間1番車は責任がある。でもレーススタイルは変えない」。19年も三谷と脇本が近畿を、いや競輪界をけん引していく。【山本幸史】

◆三谷竜生(みたに・りゅうき)1987年(昭62)9月5日、滋賀県大津市生まれ。高校、大学とラグビーで活躍。父典正、兄政史と将太の後を追い、競輪学校101期生として12年7月向日町でデビュー。G1は17、18年日本選手権と18年高松宮記念杯優勝。通算成績は533戦170勝。通算獲得賞金は4億6875万5011円。168センチ、77キロ。血液型B。