郡司浩平(30=神奈川)が初のG1タイトルを手にした。松井宏佑の先行を最終2角から番手まくり。まくってきた平原康多を振り切った。2着に平原、3着に稲川翔が入った。


この結果、KEIRINグランプリ(GP、12月30日・平塚)出場メンバーが決定。決勝5着の新田祐大(34=福島)が逆転で選考賞金ランク8位に食い込み、守沢太志(35=秋田)が最後のイスを死守して初のGP行きを決めた。


悲願のG1初制覇を飾った郡司浩平は優勝カップを手に笑顔
悲願のG1初制覇を飾った郡司浩平は優勝カップを手に笑顔

南関のエース郡司が、タイトルホルダーの仲間入りを果たした。平原との際どいゴール前勝負に、優勝の確信はなかった。自分の名前を呼ぶファンの声を聞いて、初めて勝ったと知った。


「ずっと欲しくて欲しくてたまらなかった」。5度目の決勝挑戦で手にしたG1タイトル。何度も拳を握って喜びをかみしめる。「すごくうれしい気持ちと、ホッとする気持ち、気が引き締まる気持ちと、複雑ですね」と笑った。


競輪祭の決勝ゴール。優勝・郡司浩平(中央)、2着・平原康多(左)、3着・稲川翔(右)
競輪祭の決勝ゴール。優勝・郡司浩平(中央)、2着・平原康多(左)、3着・稲川翔(右)

自力選手として、南関を文字通りけん引してきた。時には地元のために発進役もいとわなかった。ただ、これまでビッグレースの決勝での援軍は手薄だった。今回は違った。決勝で後輩松井という目標を得た。そして、ともにGPを決めた和田が固める完璧な布陣。「南関の結束力を見せられた」。


そして、父であり師匠の盛夫氏(50期=引退)も、川崎競輪の開催指導員の合間を縫って郡司の練習に付き合った。まさにラインの総合力での勝利だった。


郡司浩平は初タイトル獲得に歓喜のガッツポーズ
郡司浩平は初タイトル獲得に歓喜のガッツポーズ

3年前、その舞台は最も近く、遠い場所だった。17年競輪祭での奮闘むなしく、平塚GPは次点の10番手。「悔しい思いをした」。翌18年は満足に戦えずGPが遠ざかった。昨年、初のGPをかけた競輪祭最終日も負傷欠場。自宅でじっと朗報を待って出場が決まった。


「昨年は出させてもらっただけ。今回は取りに行って出場権が取れた。取って出るのと、取らないで出るのでは走り方が違ってくる」と郡司は言う。


G1タイトルという最高の手土産を持って、地元の大舞台を沸かせてみせる。【山本幸史】


競輪祭の決勝成績
競輪祭の決勝成績

◆郡司浩平(ぐんじ・こうへい)1990年(平2)9月4日、横浜市生まれ。市立横浜商卒。師匠は父で50期の盛夫氏(引退)。競輪学校(現養成所)99期生として11年1月川崎でデビュー(予選2着、準決1着、決勝8着)。G2は17年の高松ウィナーズC、19年の松阪共同通信社杯で2勝。G1は今回が初制覇。通算760戦256勝。通算獲得賞金3億8186万4900円。167センチ、80キロ。血液型A。