01年にG1日本選手権(ダービー、松戸)を制し、KEIRINグランプリに2度出場するなど、バンクを沸かせた稲村成浩が引退することが明らかになった。

松戸でも引退を惜しむ声が聞かれ、ともに世界選手権(90年、前橋)に挑んだ斎藤登志信(51=宮城)は「稲村さんは相棒のよう。引退なんて、なんか寂しくなる」と、少し声を詰まらせながら思い出を語り、その功績をたたえた。

斎藤は稲村と高校生ペアで世界選タンデムスプリント種目に臨み、見事に銀メダルを獲得した。

「あのときはインターハイのスプリントで優勝した俺と、1キロTTで優勝した稲村さんが、チーム監督からタンデムに出ろと言われた。体の大きな稲村さんが前で、がむしゃらに走ったら銀に。2人部屋の宿舎でいろいろ話し込んだ。メダルを取ったらNHKからスポーツ番組の生中継に呼ばれ、前橋から渋谷まで高級車で送迎を。今じゃ、なかなかないことでしょ」。

高校卒業から時を置かずに競輪学校(現選手養成所)へ進んだ稲村の後を追うように、斎藤は法大を卒業してから輪界入りした。

「稲村さんがタイトルを取ってくれたのはうれしかったな。腰痛とか膝痛とか、他にもいろいろなところを痛めていたと思う。それだけ努力したということでしょう。本当はもっと現役を続けたかったかも。ただ、選手はやっぱり、引退した後も大事。体をひどく痛めて生活できないなんてなるとね。今はただただ、お疲れさまでしたと言いたい。俺は幸い、体は大丈夫。やり残したことがないよう頑張る」。

くしくも稲村が引退の手続きを始めた2日には、斎藤は一般2Rで勝利。通算502勝目を挙げていた。目標が不発の流れに、最終2角過ぎに自力発進した。「いま思えば、あのスピード感は稲村さんみたいだった。ダービーを取ったのもここ松戸。何か縁を感じる」。

ただ、ひたすら速く、早く走ろうと、思いをともにした相棒の分も-。斎藤は最終日選抜7Rも全力でバンクを駆け抜ける。