追加招集でメンバー入りした日本代表のFW町野修斗(23=湘南)が、ワールドカップ(W杯)での出番を待つ。ここまで1次リーグ2試合はFW登録の4選手で唯一、出場機会なし。

ただ、どうしても活躍を見せたい人がいる。

中学時代に指導を受けた関本恒一さん。FCアヴェニーダソル(三重)に所属した中学の頃、関本さんは試合で町野に手を上げたことがあったという。期待していたからこそだったが、今の時代は見逃してはもらえない。しばらく指導停止になった。

高校は生まれ育った三重を離れ、大阪のアパートで1人暮らしをしながら履正社に通った。1年時、まだメンバー入りしていなくても、関本さんは教え子を応援するために大阪まで通った。J2鳥栖(当時)にも在籍した恩人はその頃から闘病生活を送り、抗がん剤治療を受けていた。平滑筋肉種のため37歳の若さでこの世を去ったのは、16年1月。町野が高校1年の冬だった。

履正社の平野直樹監督(57)によれば「中学の頃はまだ幼くて、扱いづらい選手だったのかもしれませんね」と振り返る。あだ名は「宇宙人」。天国へと旅立った関本さんが、誰よりも町野の成長を楽しみにしていたことを知る周囲の人たちは葬儀の席で、こう声をかけたという。

「活躍する姿を、関本に見せてやらなアカンぞ」

中学時代はボランチ。高校からFWに転向して才能は開花した。ガンバ大阪の下部組織で多くの選手をプロへと育てた平野監督は、こう振り返っている。

「親元を離れた時点で覚悟を持ってやろうと来ている。清水や広島(ユース)のセレクションはボランチで受けてダメだったみたいです。私としてもガンバの頃、稲本や橋本ら中盤の選手が代表になった。彼を見た時、FWしかない。FWとして育てたいと思った」

11月初旬。追加招集が発表になる前のことだった。

「発表前に先生に連絡をしたくて。W杯に行けることになりました」

電話を受けた平野監督は「鳥肌が立った」という。

日本は1日(日本時間2日早朝)に、決勝トーナメント進出をかけたスペインとの大一番を迎える。

記憶によみがえるのは、10年南アフリカ大会。出場機会を失ったMF中村俊輔が、元日本代表FWカズ(三浦知良)から受け取った1通のメールだった。

「サッカーは1プレーでヒーローになれるんだから。諦めずに頑張って!」

残り10分、たとえ5分でも、1分でもいい。

ピッチに立ち、日本を救うゴールを決めればヒーローになれる。その瞬間を、支えてきた人たちはみな、待ち続けている。

平野監督はこう続けた。

「バトンを受けて、それが(W杯へと)つながったんです」

今は亡き関本さんが、厳しくも愛情を持って育てた種は、今まさに花を咲かせる時を待つ。【益子浩一】

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11月29日、練習に臨む町野修斗
11月29日、練習に臨む町野修斗