東アジアE-1選手権(19~27日)に臨む日本代表に、FW宮市亮(29=横浜)が選出された。

ザッケローニ監督が率いてた2012年(平24)以来、実に10年ぶりの代表復帰。愛知・中京大中京高からプレミアリーグの名門アーセナル入りし、19歳で代表デビューを飾った逸材。その後、度重なるけがもあって代表から遠ざかったが、昨年7月に加入した横浜でのパフォーマンスが評価された。希代のスピードスターが、約10年ぶりに日の丸を背負う。この大会は国内組でチームを編成して臨む。

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誰より、自分自身が驚いた。デビューは12年5月のアゼルバイジャン戦。当時の監督はザッケローニ。「素直にうれしかった」という19歳のころの気持ちは忘れていない。約10年がたっての招集。「うれしいよりも(代表としての)責任感が芽生えてきた。少年だった自分と、30歳に近づいた自分の違い」と語った。

中京大中京高から名将ベンゲルに力を認められ、Jリーグを経験せず、直接アーセナル入り、19歳で代表デビューした。100メートルを10秒台で駆け抜ける衝撃的なスピードに、当時ザッケローニ監督からも「将来は大物になる」と大きな期待を寄せられた。ただ、その後は大けがとの闘いだった。右足首靱帯(じんたい)は2度負傷。両膝の全十字靱帯断裂という大けがも経験した。

「10年間、悔しいことの方が多かった」。リハビリで歩く練習、そこから走る練習。何度その苦しい経験をしたか-。プラチナ世代と呼ばれ、同期は逸材ぞろい。日本代表に選出された選手のコメントも耳にすることもあった。「ベッドの上から代表戦を眺めることも多かった」。代表復帰はおろか、自分はもう蚊帳の外だと感じたことも。引退を考えたこともあった。

存在そのものが日本サッカーの未来で、スター街道を歩むはずだったが、どん底を味わった。ただ、歯を食いしばったから、今がある。「今もけがで苦しんでいる選手は多い。諦めない気持ちさえ持っていれば、何か変わる。そういう姿を見せていきたい」。自身の生きざまが、見る人の、そしてけがに苦しむ選手の力にもなると信じる。

W杯は「選手であれば誰もが目指すところ」。11月開幕のカタール大会でのメンバー入りは狭き門だが、ウイングで主力の伊東、三笘は同じドリブラー。多くのけがを経験してなお、スピードという唯一無二の武器は光り続ける。「代表選手に少しでもプレッシャーをかけられるプレーをしたい」。晴れやかな表情で、言葉に力を込めた。

【岡崎悠利】

◆宮市亮(みやいち・りょう)1992年(平4)12月14日生まれ、愛知県出身。11年に中京大中京高からアーセナル(イングランド)入り。フェイエノールト(オランダ)、ボルトン、ウィガン(ともにイングランド)、トウェンテ(オランダ)、ザンクトパウリ(ドイツ)でプレーし、21年夏に横浜入りし、Jリーグデビュー。J1通算16試合3得点。日本代表として国際Aマッチ2試合0得点。父達也さんは、社会人野球のトヨタ自動車で活躍し、現在は同社のラグビー部(リーグワンのトヨタ)部長。弟剛はJ2岩手でプレー。183センチ、78キロ。

 

◆東アジアE-1選手権 東アジア・サッカー連盟(EAFF)が主催する国際大会で16年から現名称に。基本的に2年に1回で、国際Aマッチデーの開催でないため、海外組の招集は困難。決勝大会として東アジア4チームが参加する。

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