ワールドカップ(W杯)カタール大会(11月20日開幕)に臨む日本代表メンバー26人は11月1日、都内で森保一監督(54)から発表される。過去のW杯では、選手選考でもさまざまなドラマがあった。過去のW杯メンバー選考の舞台裏を追った。

サッカーW杯日韓大会の日本代表メンバー23人は、2002年5月17日に発表された。フィリップ・トルシエ監督はW杯1次リーグ第1戦で対戦するベルギーの試合視察のため不在。日本サッカー協会の木之本興三・強化推進副本部長が、会見30分前に監督から届いたFAXに明記された選手名を読み上げた。

 

2つの『ビッグサプライズ』があった。

1つ目は98年W杯フランス大会に出場した31歳のDF秋田豊と、34歳のFW中山雅史の名前が呼ばれたことだった。

トルシエ監督は直前の欧州遠征に招集した26人から「99%選ぶ」と明言していたが、2人は遠征メンバーに入っていなかった。

2つ目は欧州遠征メンバーで、日本代表ユニホームの広告にも起用されていたMF中村俊輔の名前が呼ばれなかったことだ。

足首の故障を抱えていたとはいえ、6月4日のW杯初戦のベルギー戦まで半月以上の時間がある。左足から繰り出される芸術的なFKは、W杯で日本の大きな武器になると期待されていた。

トルシエ監督が「欧州遠征メンバーから99%選ぶ」という方針を変更したのは、W杯代表メンバー発表の3日前。5月14日のノルウェー戦(アウェー)の後だった。0-3の完敗。自慢の組織戦術が簡単に崩され、最後まで悪い流れを断ち切ることができなかった。珍しく「日本人のフィジカルの限界を感じた」と、弱音をもらした。

その夜、秋田と中山の招集を決めた。

当時の代表メンバーの平均年齢は25歳前後。若いチームだけに自信を失うと立ち直りに時間がかかる。だからピッチに立てなくても、チームに活力を注入できる経験のある人間の必要性を感じた。その雰囲気づくりを、ベテラン2人に期待した。

5月24日の会見でトルシエ監督は「2人はしっかりした人間性を持っている。最後まであきらめない強さは、チームの力になる」と選考の理由を明かした。

4月にW杯代表メンバー構成についてトルシエ監督は「先発候補は14人程度で、控えは7人ほど。そして残る1~2人は出場機会のない第3グループ」と語った上で「本当に第3グループが必要か、今は迷っている」と話していた。

代表発表前最後のテストマッチとなったノルウェー戦で、やはり第3グループが必要だという結論に至ったのだろう。

ただ中山の選出については「彼がピッチに立っただけで、日本は十分攻撃的になる」とも付け加えた。ポジティブでエネルギッシュなプレーは、ピッチの中でも若い選手たちを鼓舞し、流れを変える力がある。

そして『ゴン』の愛称で国民的な人気を誇る彼は、ピッチに立っただけで会場の空気まで変えてしまう。地元開催の大会では、大きな力になると期待した。

もともとトルシエ監督は試合でのプレーだけでなく、『ピッチ外の雰囲気』も選手選考の重要な要素になると主張してきた。

当初、その役割をFWカズ(三浦知良)に期待していた。00年のハッサン2世国王杯を最後に代表チームに招集していなかったが、W杯にはアドバイザーとしてチームに加えたいと本人に打診した。

現役にこだわるカズがこの申し出を断らなければ、秋田と中山は招集されていなかったのかもしれない。

02年W杯から20年がたった22年6月、来日したトルシエ氏は、中村をW杯代表メンバーから外した理由についてこう明かした。

「私は中村選手を選手として評価していますし、W杯に出場する力はあると思っていました。彼は当時、(足首を)ケガをしていました。(欧州遠征で)1分も練習に参加できない状況でした」。

故障を抱えていたことも確かに一つの理由だった。しかし、故障だけが理由でもなかった。20年前、トルシエ監督は親しい関係者に中村を外した理由についてこうもらしていた。「彼はベンチに座ってチームの雰囲気を盛り上げる性格ではない。先発で起用するか、招集しないかの2択しかない」。

当時、中盤の中央にはMF中田英寿がいた。同じタイプの小野伸二と中村俊輔は左サイドで起用されることが多かった。2人には、当時、イングランド代表のデビッド・ベッカムのように、アウトサイドからゲームメークできるようなプレーを期待していた。小野は所属するフェイエノールトでアウトサイドでプレーする機会もあり、適応していたが、中央へのこだわりの強い中村は苦戦。レギュラーが厳しくなっていた。中村の落選でW杯代表に残ったのが、三都主アレサンドロだった。

トルシエジャパンは1次リーグ2勝1分けの1位突破で、目標の決勝トーナメント進出を果たした。

日本が初出場した98年W杯フランス大会で岡田武史監督が「あらゆるシミュレーションをしたが試合で起用する機会が少ない」との理由で最後にカズと北沢のベテランを外した。それから4年、トルシエ監督は「W杯はピッチの中だけの戦いではない」と、経験豊富な秋田と中山を招集した。

W杯代表メンバー選手選考は、代表監督の性格、そして勝負哲学を見事に反映している。【首藤正徳】