愛知・名古屋アジア大会(9月19日~10月4日)の男子サッカー競技は16日に開幕する。U-21日本代表は同日、豊田スタジアムで1次リーグ初戦香港戦に臨む。来年3月以降の日本代表監督就任が決定しているU-21日本代表の大岩剛監督(54)がこのほど、インタビューに応じ、国を背負う誇りや勝負強さの根源を語った。【取材・構成=佐藤成】

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泰然自若-。そんな言葉が似合う。32年ぶりの自国開催で優勝を期待される中、大岩監督はどっしり構えている。「そんなにプレッシャーは現時点では感じてないですけど、でもやっぱり期待感というのはある。前回は韓国に決勝で負けているので、勝ち続けて、最後勝つところまで行きたい」と4大会ぶりの大会制覇を狙う。

7月31日のメンバー発表会見。来年3月以降のA代表監督が決定した直後ということもあり、自ら冒頭で触れ「大変名誉なことで、大変重責であると認識しています」。今大会はカテゴリーこそ異なるが、国を背負うという覚悟は同じだ。

「月並みだけど、日の丸で君が代を歌う回数は人よりもある。その重さとか、その大きさとか、そういうものは毎回感じる。森保さんが涙を流すのとかはめちゃくちゃわかります。いろんな理由があると思うし、その都度その都度違うのかもしれない。でもそういうことができるのは、本当に幸せなこと」

幼い頃から勝利を義務づけられるような環境で育った。生まれは静岡・清水市(現静岡市)。サッカーどころで2学年上には三浦文丈、1学年上には藤田俊哉、同学年には山田隆裕や野々村芳和らがいた。小学時代には全国大会優勝が当たり前の清水FCに選ばれ、技術を磨いた。清水第五中では1年時に全国2位。清水商業(現清水桜が丘)では名波浩らと共闘して全国タイトルを総なめした。

スターばかりの中で自身の役割を見つける力が自然と身についた。中学までは攻撃的な選手だったが、高1からサイドバックに転向。組織の中で欠かせない存在として活躍した。

「自分よりうまい人間なんてゴロゴロいたから、自分の中ではそれが当たり前だったんじゃないかな。我慢しなきゃとか、別に思うこともなかった。あまり意識していないけど、与えられたところで淡々とやるしかないという感じだったのでは」

その後に進学した筑波大やプロ入りした名古屋、磐田、鹿島と所属した全ての組織でタイトルを取った。監督としても鹿島でACL(現ACLE)の頂点に立ち、U-23アジア杯では2連覇を経験している。

「勝つのは当たり前じゃない。難しさを理解している方が強いかもしれない。勝つこと、優勝することに関しては人より経験しているかもしれないけど、どっちかというと負けた時のインパクトの方が大きいわけじゃないですか。負けることへの嫌悪感、悔しさを何回も経験しているからこそかなと思う」

常々「周りに恵まれている」と口にする。「人に頼っているし、すぐ人に聞く。だから巻き込むことはすごく大事にしている。最近はもうみんなに頼ってばっかり。最後は自分が責任を取る立場なので、そこは明確にしっかり自分がジャッジしていく。そうやっていいグループを作っていく」。染みついた勝者のメンタリティーで栄冠をつかむ。

◆大岩剛(おおいわ・ごう)1972年(昭47)6月23日、静岡・清水市(現静岡市)生まれ。清水商-筑波大-名古屋-磐田-鹿島でプレー。J1通算386試合出場10得点。日本代表としては3試合無得点。10年に現役引退。11年から鹿島コーチ。17年途中から監督に昇格し、リーグ2位。18年にACL初優勝。21年4月にU-18代表、同12月にU-21代表監督に就任。24年パリ五輪では1次リーグを突破し、8強。24年12月にロサンゼルス五輪世代の代表監督に就任。26年U-23アジア杯サウジアラビア大会で優勝。180センチ。