日本サッカー殿堂の第22回掲額式典が1日、東京・文京区のJFA(日本協会)サッカー文化創造拠点blue-ing!で行われた。今年は3氏が投票と特別選考で選ばれ、節目の100人(3チーム)に到達。JFA名誉会長の田嶋幸三氏(68)が100人目となった。

JFAの100周年も会長時代に迎えたレジェンドは、高円宮妃殿下から祝辞を賜り、記念のレリーフを抱えて長男の凜太郎さん、次男の翔さんと記念撮影した。

会長在任時は祝福する側だったが、宮本恒靖会長にバトンタッチし、受ける側に。長年の功績がたたえられて殿堂委員会から推薦された。壇上で「過分な評価に感謝」と謙遜しつつ「自分の長いサッカー人生で、もし一番、褒めていただけるとしたら…」と切り出した。

それは30年以上前。まだ30代だった1990年代に「準指導員(その後のC級ライセンス相当)を5年で9000人!」の大号令の下、全国47都道府県と、東北や関西など9ブロックを回って指導者を養成した。

「『ドーハの悲劇』(93年)の頃ですよね。VHSの指導要領3点セットを持って歩いてインストラクター講習するんです。それで各県、少なくとも5人は指導者が出てきてくれて、みんなで『日本、ワールドカップ(W杯)へ行くぞ!』と、いい時代でね」

実際に98年のフランス大会で初出場を果たした後、この種まきが実り、今に至る。8大会連続のW杯出場に加え、自身が会長時代に起用した森保監督や選手が「優勝」を目標に掲げるレベルになったことを、誇った。

田嶋氏は埼玉・浦和南高校3年時には主将FWとして全国高校選手権で優勝。筑波大3年時に日本代表に選ばれ、古河電工時代も含めて国際Aマッチ7試合に出場した。

引退後はケルンのスポーツ大学に留学してクラマー氏の薫陶を受け、協会の技術委員長に抜てき。U-16~19の日本代表も指導し、指導者養成と選手育成を担った。JFAアカデミー福島の創設にも携わり、開校した2006年から12年までスクールマスターも務めて底上げに尽力した。

その後はJFAの専務理事、副会長を歴任。15年から国際連盟(FIFA)のカウンシルメンバー(理事)も務めている。16年には協会史上初の会長選挙を経て第14代の会長に就き、改革を推し進めてきた。

「目の黒いうちは勝てないと言われたドイツにW杯で勝ち、やっと対等に渡り合えるようになった。長い間、日本サッカーが右肩上がりの時にずっと関わらせてもらったことは、本当に誇り。多くの皆さんに感謝したいし、日本サッカーのますますの発展を祈りながら、これからも、少しでも世界のサッカーのために活躍できればと思っています」と約束した。

創設された女子部門は、元日本代表なでしこジャパンMFの澤穂希さん(47)が初代で選出された。特別選考ではJ1サンフレッチェ広島の初代総監督などを歴任した故今西和男さん(享年85)が殿堂入りした。【木下淳】