五輪メダリストなのに、これほど“劣等生”という言葉が当てはまる男も珍しい。男子50キロ競歩に出場するリオ五輪同種目銅メダルの荒井広宙(ひろおき、29=自衛隊)。長野・中野実高の陸上部に入部した直後は、ウオーミングアップの時点で吐いてダウン。5000メートルの自己記録も18分台で補欠だった。長距離で芽が出ない中、競歩転向の機会を与えてくれたのは、男子20キロ競歩代表で高校の1年先輩でもあった藤沢勇(29=ALSOK)だった。

 05年夏。唯一の競歩部員だった当時高3の藤沢は高校総体で4位に入った。千葉から高速道路で長野へ帰る車中、荻原信幸監督(39=現上田東高)に胸中を吐露した。「何も残せないのはさみしいです」。引退すれば、競歩部員はいなくなる。それが悲しかった。

 藤沢も荒井同様、長距離ではメンバーに入れない立場だった。最初は嫌々ながら始めた競歩だったが、大きな舞台で結果を残し、脚光を浴びた。そんな経験を後輩へ伝えたかった。「手足が長い。筋力がなく時間はかかると思ったが、長距離をやるより面白い」(荻原監督)。藤沢の練習パートナー作りの意味も含め、荒井に白羽の矢が立った。

 その後、荒井は荻原監督に呼ばれ、競歩への転向を勧められた。その時は「考えさせてください」と保留したが、1週間後には「できますかね?」と不安ながらに決断した。藤沢からも「やれよ!」と半ば強引に背中を押された。あの夏から人生が変わった。荒井は「同じ高校同士でいい結果が出せたらいいですよね」と言う。ロンドンではリオ五輪に続くメダルを狙う。【上田悠太】