96年アトランタ五輪女子マラソンに出場し、1万メートルの元日本記録保持者、真木和(まき・いずみ、現姓山岡)さんが18日に乳がんのため大阪府箕面市の自宅で死去していたことが24日、分かった。49歳だった。

真木さんと03年に結婚し、息子ももうけた夫で関西テレビの山岡重行事業部長(52)が取材に応じ、地域にとけ込み、地元の人々に愛された妻の素顔を語った。

「親族だけで(通夜、葬儀を)送ろうと思っていたんですが、60~70人の方に来ていただきました。地域、街の方に、こんなに愛されていたんだな…と」

そもそも、親族だけで送ることを決めたのも、真木さんの“地元愛”からだった。真木さんは通院治療で乳がんと闘っていたが、今年に入ってから体調が思わしくない状態が続いた。

それでも「家が好き」と言い、今月7日に検査を兼ねて入院したものの、真木さんが自宅へ戻ることを望み、13日に退院。翌14日には家族で食卓を囲むなどしたが、その4日後に帰らぬ人になった。

重行さんは「本当に家が好き、家族が好きでした」と言い、真木さんは以前から「自分の家から旅立ちたい」との意向を伝えていたという。真木さんの気持ちをくんで、通夜、葬儀は自宅で開くと決めたが、大勢の弔問客を受けられないため「親族葬」にした。

真木さんは息子の幼稚園、小学校でもPTA役員を務めるなど、陸上界の一線からは退いた一方で、学校や地域での活動には熱心だった。ゲストランナーとしては、地元・箕面のマラソン大会に3年前に招かれたのが最後だが、地元のスポーツ教室で、ランニングやトレーニングを教えることは昨年まで続けていた。

地域の人、息子の同級生の親からは「オリンピック選手とは思えない」と親しまれていたそうで、ある友人は「そんなこと、一言もおっしゃらない方だった」としのんでくれたという。

重行さんも「ですから、妻が元五輪選手と知らずに付き合ってくれた人もいたかもしれません」と話した。

家族と、地域をこよなく愛し、すっかりとけ込んでいた真木さん。息子が中学に進学すると、幼稚園、小学校に続き、中学校でもPTAに立候補した。重行さんは「でも、中学では抽選になってしまい、漏れたそうです」と明かしていた。