1区で関東学生連合チーム(オープン参加)の新田颯(育英大4年)が大逃げを打ち、ファンを沸かせた。最後は失速したが区間3位でゴール。新田との一問一答は以下の通り。

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-レースの感想は

「本当に最後ということで、悔いのないようにと思っていた。イメージしていたのは3パターン。最後で競い合うイメージと、ハイペースになったら抜くイメージ、そして自分が飛び出すイメージ。そのうちの1つがハマった」

-逃げ切れる感じはあったか

「後ろとは1分半と聞いていた。このまま持てばと思ったけれど、足が限界に来ていた。『頼む、来ないでくれ』と思って、できるだけ足を回してやっていたが、しかたない」

-足に来たのはどのタイミングで

「六郷橋を上って、残り3キロになったあたりから左足がつり始めた」

-沿道の声援にも応えた

「楽しかったので、余裕があるときは応えようと。全然知らない方からも声をかけていただいてうれしかった。力になりました」

-自分の大学をアピールしようという思いは

「もちろんありました。育英大学の宣伝がないので、ここでしっかり宣伝してやろうと」

-1区は自分の希望か

「はい、希望しました」

-箱根駅伝への憧れはいつから

「正直、憧れとかはまったくなくて。自分自身、陸上をしようと思って始めたわけではないので、陸上をしていくうちに箱根駅伝という目標を掲げるようになった。大学に入って、せっかくなら箱根駅伝を目指そうということで、1年目から少しずつ段階を踏みながらやってきた」

-走ってみて特別な思いは

「特別な思いが芽生え始めたのは、関東学生連合の主将を任されてから。自分自身、無名でやってきた。そういった選手でも箱根を走れると、いろいろな子たちに伝えられたらいいなと思って走った」

-陸上を始めたきっかけは

「中学の時にハンドボールをしていて、中1の夏にハンドボールの体力づくりの一環で長距離をしようとしていた時に、ちょうど長距離の監督から声をかけていただいた。『朝練だけおいでよ』と言ってもらったことがきっかけ。陸上部に入ったのは高校から」

-高校駅伝の活躍は

「アンカーで区間3番とかで、そんなに目立った記憶はない。3000メートル障害で出場したインターハイでは思うような走りができず、大舞台で結果を残すことが課題だった」

-大学では箱根常連校に行こうとは思わなかったか

「そこまでスカウトも来ていなくて。唯一というか、2校くらいある中の育英大は高校の恩師の知り合いが総監督を務めていた。そこで声をかけていただいて。1から作るということに面白みを感じた。強化指定部というのがあり、その1発目の代が自分たち。他のところで経験を積むよりも、最初から経験を積める育英大の方が自分の成長になるかなと思った」

-大学に入ってかなり伸びた

「1万メートルのタイムを4分伸ばすことができた。育英大の育成力はすごいなと思った。他のメンバーもハーフで10分伸びたり。1万メートルで2、3分伸びた選手はざらにいる」

-学校として箱根駅伝出場を目指している

「来年の100回大会出場を目指してやっているのでそこに出てほしいけれど、なかなか難しいところでもある。僕としては、5年以内に出てほしい」

-この後は陸上は続けない

「はい。悔いはないです」

-卒業後は

「群馬トヨタで営業をしながら、休みの日は育英大のサポートをしたい。群馬トヨタは市民ランナーのマラソンに力を入れていて、そういったところのサポートや仕事を任させている。そこをメインにやる予定」

-大学4年間を振り返ると

「箱根駅伝は本当に雲のような存在だった。でも積み重ね、積み重ねてやっていくうちに、いつか目の前のものになって実際に今日、走ることができた。4年間充実した陸上生活だった。本当に人に恵まれていました。コーチや監督、チームのみんなに助けられた」