「4回転キング」と呼ばれたスケーターがいる。02年ソルトレークシティー五輪男子銅メダルのティモシー・ゲーブル氏(37=米国)だ。今と同じように4回転ジャンプの競争が繰り広げられた当時の状況や、果敢に挑戦した理由などを語った。【取材・構成=高場泉穂】

 98年に世界初の4回転サルコーを成功させ「4回転キング」と呼ばれたゲーブル氏は06年の現役引退後、名門コロンビア大を卒業し、会社員へと転身した。今年からは米グーグル社で、データ分析員として世界中を飛び回る。そんな中でも、時間を見つけては試合をチェック。羽生結弦や宇野昌磨、米国のチェンらが多様な4回転ジャンプを競う男子の戦いを「すごく面白いよね」と評する。

 思い起こすのは、まっただ中にいた02年ソルトレークシティー五輪前後の「4回転時代」だ。

 ゲーブル氏 15年ほど前の自分たちの時代にも、今と同じような事が起こっていました。僕たちの時は、(エフゲニー)プルシェンコ、(アレクセイ)ヤグディン、(本田)武史…みんなが競い合って、レベルの「バー」をどんどん上げていった。今も、羽生選手ら複数の選手がバーを押し上げている。1人ではなく2人以上の選手が引っ張ることで、さらにみんなが追いかける状況になるのだと思います。

 88年に米国のカート・ブラウニングが初の4回転トーループを成功。それからちょうど10年後の98年にゲーブル氏が2種類目のサルコーを成功させた。翌99年の全米選手権では、フリーで初めて史上初の4回転ジャンプ3本をそろえた。なぜ、果敢に高難度の4回転ジャンプに挑んだのか。

 ゲーブル氏 自分が出来たからというのもありますが、単純に難しいプログラムに常に挑戦したかったからです。失敗するリスクは承知の上でした。限界値を超えようとすること、これはフィギュアスケートだけでなく、すべてのスポーツにおいて普通にあることです。私は「ここまでしかやらない」と安全策を取る判断をしたことはありませんでした。

 02年ソルトレークシティー五輪では8選手が計14度の4回転に挑戦。ゲーブル氏は3本の4回転を決め、ヤグディン、プルシェンコの2大スターに次ぐ銅メダルを獲得した。(つづく)

 ◆ティモシー・ゲーブル 1980年9月10日、米イリノイ州生まれ。4歳で競技を始めて、98年ジュニアGPファイナルで世界初となる4回転サルコーに成功するなど「4回転キング」と呼ばれた。世界選手権は02、03年大会で銀メダル。