GPシリーズ第3戦中国杯(3日開幕、北京)に臨む17年世界選手権5位の三原舞依(18=シスメックス)がいつも口にするフレーズがある。「スケートができる幸せをかみしめたい」。突発的ではなく、今後もずっと抱いていくだろう信条だ。

 ジュニアだった16年2月、三原は在籍する兵庫・芦屋高の体育館で、ジュニアGPでの活躍などをたたえる表彰を受けた。壇上に立つと、ハッキリと伝えた。

 「応援ありがとうございました。若年性特発性関節炎という難病になったけれど、心はとっても元気です」

 その場で小児人口10万人に対して10人前後とされる難病について説明をする姿、現実を受け止め前向きに取り組む姿に、周囲は驚かされたという。前年の15年12月、ジュニアGPファイナルで6位に入った後に発症。入院しても、見舞いに来たクラスメートに「スケートしたいんだけれど、できないんだよね」と明るく振る舞った。幼少期から憧れる浅田真央らが出場した同月下旬の全日本選手権は、心を許す友人と病室のテレビで観戦した。「出たかったな…」。ふと発したつぶやきは目標となり、退院後も氷の上に向かった。

 シニア1年目の昨季。中野コーチからは「復帰のシーズンをハッピーエンドにできるように」とフリーのプログラム「シンデレラ」を授けられた。定期的に病院へ向かう生活。冬場は関節がこわばりやすいため、遠征時も多くの防寒着をスーツケースに入れる。そんな状況でも弱音は封じた。入院からちょうど1年の16年全日本選手権は3位で初の表彰台。今年2月の4大陸選手権では優勝と、実力と名前が世界に広まった。

 今春、三原は丁寧に言葉を紡ぎながら、今後の病気との向き合い方に触れた。「私はこの病気になってたくさんの方に勇気づけられたし、手紙や応援の声もいただいた。勇気を与えると言ったらおこがましいですけれど、スケートで幸せを伝えたいです」。シンデレラストーリーはまだ、完結していない。【松本航】

 ◆三原舞依(みはら・まい)1999年(平11)8月22日、神戸市生まれ。15年12月のジュニアGPファイナル6位。シニア1年目は、GPデビューとなった16年スケートアメリカで3位。同年全日本選手権でも3位に入り、17年4大陸選手権優勝。世界選手権はSP15位から巻き返し、フリー4位で総合5位。芦屋高3年。154センチ。



三原のデータ
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