フィギュア選手が憧れた「聖地」が、東京・品川にあった。「品川スケートセンター」が誕生したのは1962年(昭37)12月。78年に品川プリンスホテルが開業する前だった。ボウリング場、プール、テニスコートなどができ、スポーツ好きの若者でにぎわった。

 フィギュアスケートの全日本選手権は70年の第39回大会で初めて会場となり、合計14回も行われた。78年からは11大会連続開催。86回目を迎える今年、東京・調布市で初めて行われるように開催地が年ごとに変わることが多い全日本で唯一、10年以上会場として固定されたのが品川だった。

 当時の支配人で、歴史を知るプリンスホテル・マーケティング部の飯田広文氏(68)は「聖地でしたね」と話す。まだフリーの前に規定が行われていた時代、今ほど人気はなく「規定の時はお客はいない。フリーで少し見にくるくらい。それでも、選手たちは品川で全日本を滑るのが目標でした」と懐かしんだ。

 「品川」がフィギュアの発展に貢献したのは、会場としてだけではない。78年には国内初のアイスショーとして「プリンスアイスワールド」がスタート。競技の振興と普及を目指したものだが、同時に引退した選手の受け皿にもなった。スケート教室のコーチとともに、フィギュアを「お金になるスポーツ」にしたのは「品川」の力だった。

 飯田氏は「最初はメンバー集めが大変で、中には転倒するレベルの選手もいましたよ」と笑うが、佐野稔を中心に急成長し、85年から全国公演を開始。かつては認められなかった現役選手の出演も解禁され、注目度も高まった。日本最古の歴史を誇るショーも来年で40周年。「フィギュアを支えてきたと思います」と同氏は胸を張って言った。

 84年にアイスホッケー用の東伏見アイスアリーナが誕生し、90年には新横浜スケートセンターがオープンした。品川は日本のスケート文化をけん引する役割を終えて、91年3月に閉鎖された。かつての「聖地」の跡には今、39階建ての品川プリンスホテル・メインタワーがそびえている。【荻島弘一】

70、80年代にフィギュアスケートの「聖地」として親しまれた品川スケートセンター(提供・株式会社プリンスホテル)
70、80年代にフィギュアスケートの「聖地」として親しまれた品川スケートセンター(提供・株式会社プリンスホテル)