“もしもスーパーの店員が五輪(オリンピック)代表選手だったら”。私ならプロフィルを聞いただけで絶対に応援する。懐かしい昭和のアスリートの残像が、記憶によみがえってきてしまうのだ。
そんな日本選手が8月1日のパリ五輪男子20キロ競歩に出場した。埼玉県草加市のスーパーマーケットで週4日、午前8時から青果売り場に立つ浜西諒。野菜の荷出しが腰の筋肉強化になっているというテレビが紹介したエピソードを聞いて、一段と応援に力が入った。
レース前半から先頭集団につけたが、ペースアップした15キロすぎに集団から遅れはじめると、やがて中継映像から姿を消した。結果は18位。ゴール直後に前のめりに倒れ込む彼の姿を見て、持てる力をすべて振り絞ったのだと思った。
近年は多くの有力選手がスポンサーと契約してプロとして活動したり、競技に専念できる条件で所属契約を結んでいる。海外で研さんを積んで“世界基準”を目指すメダル候補も少なくない。そんな時代だからこそ、浜西の奮闘が新鮮だった。目立たないだけで、実は彼のような選手は今も決して少なくないのだ。
彼のゴールを見ながら、96年アトランタ五輪で取材した米国人ランナーを思い出した。男子1万メートルに出場したダン・ミドルマン。甲高いボーイソプラノの声援を背に走った彼は、ノースカロライナ州の小学校教師だった。所属先もスポンサーもない。午前7時に起きて走り、授業が終わる午後4時からまた走ったという。
結果はトップから2分以上遅れて予選落ち。それでも「ずっと応援してくれた教え子たちに五輪を見せることができた。夢のような一日だったよ」と笑って、生徒たちが寄せ書きをしたTシャツを広げた。子どもたちも、彼と一緒に夢を見ていたのだ。
地元米国のカール・ルイスやマイケル・ジョンソンらスーパースターの活躍に沸いた大会で、もう一つの五輪を見た思いがした。五輪に人々が共感するのは単に強さ、速さだけではない。人間が生きることの素晴らしさ。それが心を打つのだと思った。
浜中もミドルマンのような笑顔を見せるのだろう、という私の安易な予想は裏切られた。レース後も彼は「新参者が戦うにはまだ早いという現実を突きつけられた。ラスト5キロが今後の一番の課題」と厳しい顔を崩さなかった。言い訳めいたことも一切言わない。それが頼もしかった。
まだ24歳。日本の“スーパー”スターをこれからも応援したいと思った。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「五輪百景」)




