こんなに笑う男だっただろうか?

 スピードスケートの10年バンクーバー五輪男子500メートル銀メダリスト、長島圭一郎(35=リカバリー)のことだ。15年春に一時は引退したが、昨年7月に復帰。その頃から表情は一変したように思える。氷上の上では高い集中力を保ってはいるが、リンクから上がると選手、関係者だけではなく、知った顔の記者を見つけると気軽にあいさつし、雑談にも応じている。「僕はマラソンで言えば市民ランナー。フリースケーターです」。ユーモアを交えて柔らかな表情で話をする姿は、最近でこそ当たり前だが、以前はそれほど見ることのない光景だった。

 実業団に所属し、常に結果が求められいた。五輪ではメダルが期待された。バンクーバー大会で銀メダルを獲得し、14年ソチ大会を目指したころは「金メダルしか見ていない」と自分をとことん追い詰めていた。もちろん、話をしないわけではないし、取材にも応じないわけでもなかったとはいえ、どちらかと言うと人を寄せ付けないオーラをまとっていた。それが以前の長島の印象だった。

 「楽しいからやっている。それだけですよ」-。復帰してきた時に伝えてくれた言葉だ。1度引退し競技から離れたことで、スケートの本質、原点を再確認したのだろう。1人で練習場所、メニューなどを決め、身銭を削りながらの選手生活。環境は4年前とは、雲泥の差だが、純粋に楽しそうなのはそのためだろう。

 全日本スキー連盟はソチ五輪後、企業の垣根を越えたナショナルチームを発足させた。若手が台頭してきており、復帰した昨季はW杯代表に戻れなかった。今季も前半戦代表から漏れており、五輪代表入りは難しい状況ではある。それでも「この立場から五輪の舞台に立ったら最高でしょう? 」とまた笑う。

 決して平たんではない。それでも、「楽しい」と思いながらスケート人生の第2章を歩く男の背中は、将来を夢見ながら環境に恵まれず岐路に立たされる若手の道しるべにはなりはしないか? 35歳のベテランの挑戦をしっかりと見届けていきたい。【松末守司】

 ◆松末守司(まつすえ・しゅうじ)1973年(昭48)7月31日、東京生まれ。06年10月に北海道本社に入社。夏は競馬、冬はスポーツ全般を担当する二刀流。10年バンクーバー、14年ソチ大会と2度の冬季五輪を取材した。