8月25日から9月1日まで聖地・日本武道館で行われた柔道の世界選手権でうれしい「遭遇」があった。客席を歩いていると、目の前に現れたのはレスリング男子フリースタイル57キロ級の高橋侑希(25=ALSOK)だった。向こうもこちらに気づき、軽くあいさつを交わす。「いや~、いい雰囲気ですね。阿部選手と丸山選手、どっちが勝つのかなあ」。その日は男子66キロ級の日。世界選手権2連覇中の阿部一二三と、その阿部に2連勝中の丸山城志郎が準決勝でぶつかるまであと1時間といった会場だった。

英語での選手紹介、ライトを駆使したショーアップ、席を埋める観客を埋める観客の姿に、迫る自身の世界選手権のイメージをふくらませていたのかもしれない。9月14日にカザフスタンで開幕する世界一決定戦は、17年以来の優勝をねらい、メダル獲得で東京五輪の代表に内定する大一番。会った日は都内で長期の代表合宿中で、午後の激しい練習を終えて武道館に駆けつけていた。もともと興味津々だった柔道の試合を生で観戦する好機を逃すまいと、その翌日も姿を見せ、男子73キロ級で大野将平が二本持つ柔道で圧倒する姿も目に焼き付けた。「すごすぎです! かっこよかったです」。世界舞台での同世代の日本選手の奮闘は何よりのカンフル剤になっただろう。

レスリングと柔道。そもそも前者の日本への普及の源流は後者にある。日本レスリング界の始祖、八田一朗は早大柔道部時代に輸入スポーツとしてのそれに魅了され、日本での振興に人生を駆けていった。1930年代、黎明(れいめい)期は柔道家たちが転向、もしくは兼業していくことで競技人口を増やしていった。32年のロサンゼルス五輪に初参加した7人の日本代表はみなが、柔道の高段者だった。

この歴史の発端を知らずか、女子レスラーからも高橋同様の効能が聞かれた。女子53キロ級で世界代表の向田真優は、合宿先の新潟県でテレビ越しに丸山の激闘を見届けた。阿部との準決勝。序盤に足を痛めて引きずる苦境を次第に挽回し、表情を崩さない静かな必死さで阿部を追い詰めた姿。最後は浮き技で技ありを奪って勝ち、直後の決勝も合わせ技で一本勝ちをした。「気持ちの強い方がやっぱり勝つのかなと。丸山選手をみていてそれを感じました。私は気持ちの部分が課題だと思っているので」とけがを不屈の姿勢で乗り越えた丸山から大きな確信を得ていた。

おそらく他のレスラーも何らかの形で柔道の結果を見聞きしたと思う。そして、「自分も…」とわが身に照らしたはずだ。来年の東京五輪でも柔道が先でレスリングが後という流れは同じ。広くチームという観点から見れば、共闘である。今年の「予行演習」でも良き流れを期待したい。【阿部健吾】

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)