25位から出た林菜乃子(21=ユピテル)が、4バーディー、1ボギーの69で回り、通算1アンダー、143で3位に浮上した。

プロツアーに出だした17年は、14試合連続予選落ちなど、全18戦で予選通過は1回だけ。稼いだ賞金も、24万円だけだった。予選を落ち続けていたときに「状況打破のために何が必用かを考え、一流の方が何を考えているのか、どういう技術でゴルフをしているのかを知りたくて、芹沢信雄プロに1度でもいいから見てもらえないかとお願いしました」という。

所属先の関係者らも通じて何度も依頼した結果、17年の大東建託いい部屋ネット・レディースの練習ラウンドで、見てもらう機会を得た。「すべてのクラブを持っていって、ドライバー、パター、全部教えてくださいとお願いしました」。1時間の予定がレッスンは3時間を超えた。その大会の第2日にレギュラーツアーで初めてアンダーパーで回ると、芹沢プロから連絡が来て、そこからチーム芹沢入りとなった。芹沢プロの指導を受け、18年7月のプロテストには3度目の挑戦で合格。同年の下部ツアーで初優勝も果たした。「自分は頑張れば絶対に通用する選手だという気持ちはあった。チーム芹沢に入った以上、結果を残すことはマストだと思っています」と話す。

名前の菜乃子は、母親が出産前につわりで苦しんで寝ているときに、そとの壁の間から咲いていた一輪の菜の花にちなんで名付けられた。5歳とのきに父にゴルフスクールに連れていかれて始めたゴルフ。学生時代に華々しい実績はないが、ルーキーイヤーにその才能を開花させようとしている。好きな言葉は「夢は近づくと目標に変わる」。ツアー初優勝は、目標に変わった。