2020年の男女ゴルフツアーが新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、開幕戦からストップしている。ここまで中止、延期となった各大会の名場面を振り返ります。

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▽2017年(平29)大会(6月8~11日、兵庫・六甲国際GC)

宮里藍の国内引退試合だった。最終日はアンダーパーの71で、通算2アンダーの26位。5月26日に同年限りの引退を表明し、03年秋のプロ転向時から所属するサントリーの主催大会には、スーパースターの幕引きを見るべく、4日間で大会新の大観衆3万4750人が殺到した。通算15アンダーで優勝したキム・ハヌルとのV争いにこそ絡めなかったが、当時31歳の宮里は涙で“国内ラストラウンド”を締めくくった。

宮里は最終18番のティーグラウンドに立った時、鳥肌が立ったという。

「まだこれだけの人が私を見てくれている」。

最終日のギャラリー数は9132人だった。超満員のスタンド、フェアウエー両サイドには人の壁ができた。国内ラストホールをカラーからパターで沈めてナイスパー。お辞儀をして手を振り、大歓声に応えた。こらえていた涙が落ちた。

宮里 ここ2年くらいは調子が上がらなくて、どうしたらいいか分からなくなった。自分を見失う時期が長く、プロ生活で1番つらかった。ドライバーも、パターも、予期せぬ形で崩してしまった。今日の18番はすごい景色でした。このホールにこれだけ人が埋まるんだ。想像していた何十倍もの人が来てくれた。

失った自信を大観衆が取り戻させてくれた。10番でチップインバーディー。12番パー5は、第4打のバンカーショットを放り込んだ。興奮したファンが指笛を吹き、地鳴りのような歓声が起こる。世界ランク1位になった全盛期の姿はない。優勝争いからも大きく離され26位。それでも要所で見せる勝負強さと技術は、人々を酔わせるには十分だった。

宮里 一生、記憶に残る1週間でした。18歳の時、ここまでなれるとは夢にも思わなかった。できることなら1人、1人にありがとうと伝えたい。両親も苦しい時期に同じ思いをしてくれた。ここまで支えてくれたことに感謝しています。

ゴルフ一家で、3人きょうだいの末っ子。父優さんは「しつけは厳しくした。ゴルフ以外の礼儀は特に、言い聞かせた」という。娘のプレーを目に焼き付けた母豊子さんは「苦しんでいる姿を見ていることしかできなかった。泣かないつもりでしたけれどダメでした」と目を赤く腫らした。

宮里 体力と今のモチベーションを考えると、もうそんなに長くはできない。頑張って9月までというのが今の目標。また日本で出たとしても、本来の自分ではないような気がする。

そう“予告”したように、現役最後の舞台は9月のメジャー・エビアン選手権(フランス)になった。またサントリーレディースでは、翌年から大会アンバサダーを務めることになり、大会名に「宮里藍」を冠することになった。

■過去5年の優勝者

15年 成田美寿々 -16

16年 姜秀衍 -11

17年 キム・ハヌル -15

18年 成田美寿々 -16

19年 鈴木愛 -12