東京五輪代表で日大3年の池江璃花子(21=ルネサンス)が、インカレ初優勝を果たした。50メートル自由形で予選を25秒20、決勝を25秒02で優勝。2位山本茉由佳、3位持田早智と日大の先輩と表彰台を独占した。まだ総合優勝がないチームを、最高のスタートに導いた。池江は個人2種目、リレー3種目と大会4日間すべてに出場する見通し。闘病生活の支えとなった思い出深いインカレで存分に泳ぎ、24年パリ五輪に向けて歩んでいく。

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池江が、一瞬遅れて、目を見開いた。50メートル自由形決勝。タッチ差の勝負を制して初優勝。昨年4位の悔しさを晴らしたが、喜びはそこじゃない。「自分のタイムよりも3番は誰だろうと思った」。電光掲示で2位山本、3位持田の表彰台独占に気づいて「わっ」と声を上げた。同じルネサンス所属で白血病からの復帰後一緒に練習してきた2人と抱き合った。「1、2、3フィニッシュは可能性がなくはないと思っていた。すごくいい流れができた」と何度もガッツポーズした。

無邪気な笑顔が戻ってきた。19年2月に白血病を公表。復帰後は悔しさを隠す無表情か、うれし涙がつきものだった。この日は21歳らしく、はしゃいだ。スクールカラーのピンクをベースに金色を加えたネイルを見せて「自分たちの情熱というか、優勝したい気持ちです。学校対抗では、タイムより順位が大事です」。

思い出深い大会だ。大学1年の19年は闘病中に一時退院を利用して応援。病床に仲間との集合写真を飾って、復帰の第1ターゲットにした。大学3年の今年は持田、山本と一緒に泳ぐラストイヤー。20年7月には「この3人でリレーを泳いで優勝すること」を目標にしていた。東京五輪という大舞台を経験しても池江にとって仲間とチームで戦う喜びは変わったりしない。

今大会は50メートル自由形、100メートルバタフライに加えて400メートルリレー、同メドレーリレー、800メートルリレーと5種目に出場する見通し。チームのため、かつての常識だった「毎日、璃花子」が復活する可能性もある。チームとしての目標は「去年の順位(5位)よりも上げる」と控えめだが、最高の滑り出し。「3年後のパリに向けて焦らずいきたい」。過去2年は大学生の祭典を楽しむことなく過ぎ去った。あと3日。仲間とのかけがえのない時間を存分に味わって、パリ五輪への力にする。【益田一弘】

<池江の日本学生選手権>

◆19年9月(日大1年) 白血病闘病中で不出場。一時退院を利用し3日連続で東京辰巳国際水泳場に駆けつけて応援。「今年は出られずに本当に悔しかったので必ずまたリベンジします」とコメント。白血病公表後初の公の場だった。

◆20年10月(同2年) 白血病からの復帰2戦目で、インカレ初出場。50メートル自由形で予選は25秒87で全体6位、決勝は25秒62で4位。「今の状態では上出来です。悔しいですが、この気持ちが活力になっていく」。翌日には体調不良者が出たことで400メートルリレー予選に電撃出場。引き継ぎで56秒19を記録し、全体2位での決勝進出に貢献した。

<池江の東京五輪> 

100メートルのバタフライと自由形でリレー代表として選出された。開会式翌日の7月25日に400メートルリレー予選の第2泳者で登場。日本は3分16秒20で全体9位で決勝を逃した。池江は白血病からの2度目五輪に「またこの舞台で泳げてうれしい」と言った。

2種目目は同29日の混合400メートルメドレーリレー。背泳ぎ小西-平泳ぎ佐藤-バタフライ松元に続くアンカーで自由形を泳いだ。3分44秒15の全体9位でまたもあと1歩決勝に届かなかったが「皆が笑顔で送り出してくれてハッピーな気持ちだった」と喜んだ。

3種目目は同30日の400メートルメドレーリレーに第3泳者バタフライで登場。3分57秒17で全体6位。3種目目でついに決勝に進出した。

競泳競技最終日の8月1日に同決勝に出場。3分58秒12で8位入賞。「1度はあきらめかけた東京五輪だったんですが、リレーメンバーとして決勝の舞台で泳げて、すごく幸せだなと思います」と涙した。