日本ラグビー協会名誉顧問(元名誉会長)で元早大監督の日比野弘(ひびの・ひろし)さんが14日に死去した。86歳だった。同協会が15日に発表した。

日比野さんが日本代表監督として指揮した代表的な試合に、83年10月22日のウェールズ戦(カーディフ)が挙げられる。24-29と惜敗したが、日本の価値を世界に発信した。その試合に先発していた当時神戸製鋼の林敏之氏(61)が思い出を振り返った。

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あれは神戸製鋼入社2年目の出来事だった。同志社大在学中から日本代表に選ばれ、臨んだウェールズ遠征。その少し前から監督だった日比野さんは「筋力を上げないといかん。まずは大きな3つの筋肉を鍛えるぞ」と選手に説いていた。全国的な強豪だった同志社大でも、ベンチプレスで100キロを上げる選手がいれば「おぉ~!」と仲間内で驚いていた時代。筋力トレーニングにこだわる指導は選手にとって新鮮だった。

「ベンチプレス、スクワット、デッドリフト。まずはこの3つを鍛えようとバーベルを挙げました。今と比べて重量は違いますが、筋力トレーニングがそれほど重要視されていなかった時代。日本代表のベースの力を上げるために考え、導入されたんだと思います」

日比野さんの存在は高校の頃から知っていた。徳島・城北高時代、すでに早大の監督として3度の大学日本一に輝いた名将の著書を、手に取る機会があった。

「徳島の田舎もんにはキラキラとした世界を見ているようでね…。『早稲田に行きたい』と思いましたよね。結果的には同志社に行ったんですが、そういった著書から、影響を受けた人も多いと思います」

語り草となっている83年秋のウェールズ戦。現在の日本代表のように、遠征前に長期合宿を張る習慣はなかった。主将だった松尾雄治氏を筆頭に、平尾誠二さん(故人)、大八木淳史氏…。現地で試合をする度にチームの成長を実感した。

「現地でいい試合を続けることで、大一番のウェールズ代表との試合も、いっぱいお客さんが来てくれました。よく覚えています」

24-29。わずかに5点及ばなかったが、日比野さん率いる日本代表に対して、相手選手や本場のファンから称賛の声が相次いだ。

この日、訃報を聞いた林氏は、しみじみと言った。

「早稲田、日本代表と、日本ラグビーの中心にいらっしゃった方。高校日本代表の合宿に数日間来られても、すぐに名前を覚えられる。著書も含めて、日比野さんによって、触発された人が多かったと思います」

その功績は計り知れない。【松本航】