初出場を果たした山本草太(23=中京大)が銀メダルを手にした。

ショートプログラム(SP)2位からフリーは179・49点、合計274・35点でともに自己ベストを更新してみせた。

「中盤のジャンプくらいから1個1個ガッツポーズをして。振り返るとやりすぎたと思うんですけど(笑い)」。

冒頭の4回転サルコー、続く2本の4回転トーループを決めきると、中盤からは着氷後に拳を握った。小さく、だが力強く。

「1つ1つのジャンプがすごく大事になってくるので、そこで1つ1つ乗り越えたうれしさが演技中に出てしまったかな」

特に最後の3回転ルッツを決めた後には、右拳を思い切り振った。ゆったりとした旋律に身を委ねながらスピンでのフィニッシュに持ち込むと、氷をたたいて歓喜に浸った。

5番滑走。それまでの演技者の滑りをモニター越しに見届けていた。

「いままではシャットアウトして、自分に集中していたんですけど、今季はみんなの演技を見てさらにパワーがわいてくる、僕も頑張ろうと。競技として、しっかりそういった考えを持ち込んで演技できているのは成長した部分です」

今季は、周囲の奮闘を力に変えているという。

このリンクこそが出発点だった。06年トリノ五輪の会場。テレビ越しにプルシェンコの金メダルに憧れ、スケートを始めるきっかけを作ってくれた。練習日にはリンクの五輪マークをスマートフォンに大切に保存した。この場所で手にした大舞台での銀メダルは、だからこそ一層の価値があった。

16年3月に右足首を骨折してから、再骨折などで3度の手術を行った。患部に3本のボルトを埋め込んだまま、競技人生を続けてきた。この日のジャンプと一緒で、「1つ1つ乗り越えてきた」末に、原点が宿る地での喜びが待っていた。

「まずはやるべきことができているので、自信も少しずつついてきているので、これを継続して、失敗もあると思うんですけど、しっかり成長していけるようにレベルアップしていきたい」

大けがをする前。ジュニアとして世界のトップで戦ってきた。いま、シニアとして堂々と世界と渡り合える位置まで帰還した。その目には、4年後、再びイタリアで開催されるミラノ・コルティナダンペッツォ大会がはっきりと見えている。