【復刻版:2004年8月16日の日刊スポーツから】

 勝った。泣いた。叫んだ。北島が悲願の金メダルを獲得した。競泳男子100メートル平泳ぎで、日本のエース北島康介(21=日体大)が1分0秒08のタイムで優勝。世界記録保持者ブレンダン・ハンセン(23=米国)を退け、表彰台の中央に立った。ケガや体調不良に苦しみ、大会直前には世界記録も更新されたが、大舞台で逆転。競泳では92年バルセロナ大会の岩崎恭子以来、男子では88年ソウル大会の鈴木大地以来の栄冠を日本にもたらした。

 最後はやはりハンセンとの争いだった。猛追してくるライバルから、必死に逃げる。持ち前の大きな泳ぎは崩れない。最後のタッチは流れたものの、0秒17差勝った。金メダルを確認すると、水面を右こぶしで思い切り叩く。激しい水しぶきの中に最高の笑顔。体を震わせて、何度も雄叫びを上げる。日の丸が激しく揺れるタンドに手を挙げ、ど派手なガッツポーズ。追い求めてきた夢をかなえ、体中から喜びがあふれた。

 「ちょー、気持ちいい。やる前からハンセンとの勝負と思っていた。気持ちで絶対に勝つと思い、スタート台に立った。どこで勝ったかは覚えていない」と一気に話した。「(金メダルは)鳥肌ものですね。気持ちいい〜」。緊張感から完全に開放されると、ひと目も気にせずに号泣した。感動的な男泣きだった。

 作戦通り、前半から飛ばした。50メートルの折り返しは28秒26。ラップは28秒22のハンセンに奪われたが、ターンで浮き上がった瞬間、体半分リードした。前半でハンセンに大きなリードを許しては勝ち目はない。しかし、離されなければ得意の後半で勝てる。大きな泳ぎでゴールに向かった。ラスト15メートル、勝利を信じてゴールに飛び込んだ。

 昨夏の世界選手権で、ダブル世界記録の金メダルを獲得。だが、神様から高いハードルを与えられた。昨年12月には左ひざを痛め、年明けには古傷の右ひじ、左肩にも痛みが発生。平井コーチが「もうだめかも」と漏らした。心と体の揺れは、泳ぎにも影響した。6月の欧州GPでは国際大会で3年ぶりの敗戦。その後も発熱、左ひざにできた血節腫の痛みに苦しんだ。

 不調の原因を探るため、基本に返った。プールサイドの手すりをつかみ、何度もキックを繰り返した。世界記録を出した過去のビデオを見て改善点を探った。シドニーで4位に終わった悔しさもあった。日本競泳陣の五輪通算50個目(金は16)のメダルという節目を飾ったのは、天才が地味な努力を重ねた結果だった。

 レース後はスタンドにいる両親を探した。4歳から水泳を始め、母より子さん(54)と毎週、大会に出掛けた。家族旅行の時も、母と息子だけはプールに足を運んだ。今も大会に必ず応援に駆けつける両親のためにも金メダルを取りたかった。「今日は本当にうれしい。でも200メートルも頑張る。気持ちを切り替えたい」。もともと、得意なのは200メートル。1冠ではなく、2冠があくまでの目標だ。北島の夏はまだ終わらない。