W杯初先発を果たした日本代表フッカー坂手淳史(26=パナソニック)は、NO8仕込みのフィールドプレーが魅力だ。

適切な判断とタックルで相手攻撃の芽をつみ、周囲を統率する力も併せ持つ。その礎を築いたのが京都成章高の3年間。当時を知る湯浅泰正監督(55)が素顔を明かした。

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あごひげをさすりながら、湯浅はニヤリと笑った。

「坂手はね『裏監督』って呼ばれとった。僕よりも、ええコメントしよった」

08年、京都府選抜の練習会に参加していた中3の坂手を見て「でかいのに器用。余裕があって、リーダーシップもある」とほれ込んだ。09年春、初々しい表情で入学してきた男には、想像通りの柔軟さがあった。

1年からメンバー25人に名を連ねた。新入生には半年間、自重での体作りが課せられる。バーベルを持たない地味なトレーニングで、手を抜かなかった。その冬、花園4強入りを果たすチームで頭角を示す坂手に関心が集まるのは自然だった。湯浅はある時、担任から「そんな“ええヤツ”ちゃいますよね」と話しかけられた。担任の言う「ええヤツ」は、教科書通りの優等生という意味合いだった。湯浅は「優等生じゃないけれど、優等生」と独特の表現を用い「影響力があって、一緒にいて楽しい生徒だった」と思い返した。

坂手が優れていたのは「勘」だった。例えば短時間で終わるチームのミーティングに、ノートを持参するか、否か-。「あの子はどういう空気なのか事前にキャッチし、絶対に外さない。それができない子らは『何でノートないねん!』と怒られる」。湯浅はそんな「勘」の良さを、ラグビーでも求めた。しつこく指導したのが、防御だった。

タックルは一人前だった。同校伝統の堅い防御は「ピラニア」とも呼ばれる。坂手が務めたNO8は、仲間の防御の乱れをカバーする機会が多くやってきた。「味方が抜かれた瞬間にタックルに行く。ずっと狙って、狙って、仕留める。『あっ、俺や』と思った時では遅いんです」。高3の冬、御所実(奈良)と7-7の激闘を演じ、抽選負けした全国高校大会準々決勝。湯浅は「相手が抜いた瞬間には全部、坂手がいた」とうなった。現在、世界の舞台で戦う坂手も「体を動かしながらタックルに入るのは、成章で学んだ。今に生きている部分は多い」と3年間の努力に自信を持つ。

帝京大、パナソニックと進んだ後も、定期的に母校を訪れる。後輩に指導する坂手を見つめ、恩師は“裏監督”と呼ばれた高校時代を重ね合わせた。「僕、花園のハーフタイムで、ほとんどしゃべってません。坂手が全部、言ってまう。記者さんからの取材も全部あの子」。そう笑い、願うように言った。「あの子がタックルで評価されたら、うれしいですよね」。初めてのW杯。日本を背負う教え子を、温かく見守っている。(敬称略)【松本航】