大関魁皇(38=友綱)が20日、日本相撲協会に引退届を提出し、臨時理事会で年寄「浅香山」の襲名が承認された。この日、名古屋市内のホテルで会見し、笑顔で第2の人生をスタート。右上手が必殺の型だった魁皇と同じように、型のある、強く、格好いい3拍子そろった力士の育成を目標に掲げた。

 引退表明から一夜明け、魁皇は笑顔だった。通算最多1047勝、大関以下では最多5回の優勝。何より、動けなくなるまで完全燃焼した。

 魁皇

 やり残したことは、ありません。もう1つ上(横綱昇進)もあったし、地元の九州で優勝したいのもあったけど、できなかった。それ以上に、十分にいい人生を送ってきた。悔いも後悔もありません。

 友綱親方(元関脇魁輝)と引退を話し合ったのは、9日目の夜。10日目に負けたら、退く決意を固めた。

 魁皇

 (記録を)苦しんで達成して、ちょっとホッとしてしまった。前に攻めようという気持ちがなくて、体も動かない。もう無理かなと思い始めて、自分の相撲を取れないなら、もうやめようと。最後の引き際かなと思いました。

 約1時間の会見中、涙はなし。むしろ、親方として歩んでいく今後の期待感を漂わせた。友綱部屋の部屋付き親方として「強い、格好いい関取を育てたい。それが夢です」と話す。左四つ、右上手。絶対の型があった魁皇らしく、育てたい弟子のイメージもある。

 魁皇

 厳しさがなくなったら相撲界じゃなくなる。厳しさは残していきたい。相撲取りとしては、自分の型をしっかり持った、まじめで、しっかり稽古する、そういう力士を育てたい。

 将来は、独立して部屋を持つ夢もあり「いろんなことを勉強して、ある程度覚えたところで、自分の部屋を持てたらいいなと思う」とも言った。人気力士ゆえ、スカウト活動にも期待がかかる。今はまず、新米親方として、勉強の日々が始まる。

 魁皇

 車の運転もできなかったし。外を歩くのもなかなかできなかった。自分は15歳で、この世界に入っている。靴を履く習慣もなかった。普通の格好をすることがなかったので、服装に困る。どういう格好をしたらいいのか…。現役生活が長いと、迷うことがたくさんある。

 故郷の福岡・直方市ではこの日、花火10発が打ち上げられた。勝ったら上がった恒例の花火も、これが最後。これからは、花火を上げてもらえるような力士を育てていく。【佐々木一郎】