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第78回東京箱根間往復大学駅伝競走:2002年1月2日(往路)3日(復路) 2位順大来季へつないだ<第78回箱根駅伝:復路>順大には、来季への期待が膨らむ2位だった。「クインテット」と呼ばれた、主力5人の4年生は復路に出場していない。連覇は逃したが、3年生以下の5人がタスキをつなぎ、往路3位から順位も上げた。沢木総監督は「大満足です。(復路の順大の)伝統は受け継がれた」と話し、コーチから昇格1年目の仲村監督は「4年生に『おんぶにだっこ』だった、このメンバーで戦えたのだから」と選手をたたえた。 大会直前はアクシデントが続いた。昨年12月17日に、3000メートル障害世界選手権代表のエース岩水(4年)が右臀部(でんぶ)を肉離れした。出場できるまでに回復したが「右の肺が半分ぐらいの大きさにつぶれていた」(順天堂病院・桜庭医師)と、28日には肺の一部に穴があく「肺気胸」とも診断された。「岩水の分まで」と結束は揺るがなかったが、30日には補欠を含む14人の登録選手中9人に、下痢など食あたりの症状まで出る苦境だった。 最終10区の春田(3年)は言った。「今年は4年生のチームだったけど(復路で)来年につながるレースができたと思う」。駒大に3分59秒の大差をつけられての2位。「万全なら」の思いは残るが、チームに悔しさはなかった。【桐越聡】 |
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