広島の新井サンがMVPに選ばれて、やっぱり今季のプロ野球、セ・リーグは広島のトシだったなあ、とあらためて納得するシーズン・オフです。

 そんな中、先日、広島出身のプロ野球人、というかコーチと少し話す機会がありました。

 このオフからオリックス2軍投手コーチに配置換えとなった小林宏氏です。90年代半ば、オリックス黄金時代に救援投手としてチームを支えた右腕。今季はオリックス1軍投手コーチでしたが、投手陣の不振もあっての配置換えとなったようです。

 「なかなかむずかしいですわ…」

 現役時代、やたらと突っ張っていた印象の小林氏ですが、今月30日で46歳になります。すっかり丸くなった感じです。

 「広島出身と言ってもカープで選手をやってないから関係ないですね。指導者でも呼んでもらえんでしょう」

 そう笑う小林コーチは広島経済大出身。プロ球界ではそれほどメジャーな感じはしませんが、現役ですごい選手が1人。ソフトバンク柳田です。

 「そうなんですよ。最初全然あいさつに来なくて。ソフトバンクのある人に『怒ってると伝えて』と言ったら、あわてて飛んできましたわ(笑)」

 その小林コーチ、現役時代で思い出すのはなんと言っても「小林・オマリーの14球」です。

 あの「江夏の21球」に比べるほど有名ではないかもしれないし、若い人はまったく知らないかもしれませんが、当時はかなり話題になりました。

 95年、オリックスとヤクルトの日本シリーズ。3連敗したオリックスが迎えた神宮球場の第4戦でした。延長11回裏、オリックス小林とヤクルト・オマリーの激闘です。

 1-1の同点で1死一、二塁。ここで強打者で鳴らしていたオマリーに対し、小林はあわや本塁打というファウルを2度までも浴びながら、粘りに粘り、14球目で空振り三振を奪い、ピンチをしのぎました。

 結局、「がんばろう神戸」で臨んだこの日本シリーズ、オリックスが挙げた唯一の白星に結びつけることになったのです。

 当時、私は神宮球場のネット裏記者席でその1球1球を見守っていました。

 若かったこともあって1球ずつ、特にファウルの場面では「うあっ」と声を上げてしまい、先輩に「うるさいぞ」と苦笑されたことを思い出します。

 最後、空振りに取った球は「なぜか落ちた真っすぐ」だったそうです。

 「知らないうちに疲れていたんでしょうね。真っすぐのつもりだったんですけどスッと落ちた。あれで助けられたんですね」

 話しぶりは違いますが当時も今も小林コーチの説明する内容は変わりません。

 この話は、全力を出し切れば、自分の知らないところで結果がついてくるというエピソードとして、私の中に残っています。

 その好敵手だったオマリーも今季限りで阪神のコーチ補佐を退団しました。

 いろいろなところで時の流れを感じます。あの小林がもう46歳か、と感慨深くなり、昔のことを思い出してしまいました。