不滅の背番号1が甲子園によみがえった。開会式に先立って行われた往年の名選手によるイベント「甲子園レジェンズ」。85年の優勝フィナーレから23年ぶりに母校PL学園のユニホームを着た桑田氏が登場すると、スタンドの3万8000人が拍手で迎えた。

 子供たちとキャッチボールをした桑田氏も胸を高ぶらせていた。83年夏の衝撃デビューから甲子園で歴代トップの20勝を挙げたが「かなうものなら、もう1度(高校時代に)戻りたい。もっと勝てたんじゃないかなと思います」と言った。情熱は消えていない。「もし戻れるのなら、立浪君らのチームと試合をしたい。ガチンコ勝負ができたらなと思います」。87年春夏連覇を果たした立浪和義(中日)らとどちらがPL学園史上最強か、決着をつける夢を明かした。

 ほかの伝説の選手も見果てぬ夢を語った。首里の主将だった仲宗根弘氏(68)は58年夏に沖縄勢として初出場も、植物検疫法で甲子園の土を持ち帰れなかった。「沖縄まで持って帰ったのに、港で海に捨てられました。今度は持って帰りたい」と50年前を思い起こした。高松一の主砲として甲子園で2本塁打を放った怪童・中西太氏(75)は「野球を通じた人間形成の場所だった」と、懐かしそうに球場を眺めていた。【堀まどか】