2015年も残すところ、あと数日。今年もメジャーリーグでは、いろいろなことがありました。ドジャース野茂英雄の鮮烈デビューから満20年。今では日本人選手がメジャーで「通用するか、しないか」ではなく、「いかに適応し、チームに貢献するか」の時代になりました。だからといって、メジャー挑戦が簡単になったかと言えば、決してそんなことはありません。

 今季のビッグニュースといえば、マリナーズ岩隈のノーヒッターをはじめ、イチローのタイ・カッブ超え(4192安打)などの偉業が挙げられるでしょう。その一方で、インディアンス村田透投手のメジャーデビューが、今でも強く印象に残っています。ドラフト1位で巨人に入団しながら、思うような結果が残せず、2011年に渡米。コツコツとマイナーで実績を積み重ね、5年目でようやくメジャーのマウンドにたどり着きました。言葉も文化も違う異国の地で、通訳も付かず、過酷なマイナー生活を続けてきたのですから、人には言えないような苦労やイヤな事もあったに違いありません。それでも、村田は「初心」を忘れていませんでした。

 「苦とは思わないようにしました。それが普通ですし、人間としても大きくなれる、人生経験と思ってましたし、上に行くためなら、それは仕方ないこと。みんな他の国の選手も経験してるわけですから」。

 頭で分かっていても、それらの苦労を「人生経験」と言い聞かせることは、他人が思うほど簡単ではないでしょう。結果的に1試合に登板しただけで、その後は予定通り3Aへ戻りましたが、村田の苦労が報われた1日でした。今季の初昇格は、ひたむきに野球と向き合ってきた村田への、ご褒美だったような気がします。

 今や巨額の資金が動き、超大型契約でのメジャー移籍が続出する時代になりましたが、1995年にドジャース入りした野茂氏も、最初は年俸980万円のマイナー契約からスタートしました。

 野茂氏から20年-。

 「初心」の大切さを実証した村田のデビュー登板は、イチローや岩隈の大記録に勝るとも劣らない、「ベスト・アチーブメント(業績)」だったのではないでしょうか。

【四竈衛】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「メジャー徒然日記」)