乱暴者で嫌われ者とされてきたタイ・カッブだが、大打者の真の姿に迫った人物がいる。チャールズ・ラーセン氏は多くの資料を集め、関係者を取材して今年5月、伝記「タイ・カッブ~ア・テリブル・ビューティー~」を出版した。これまで解き明かされてこなかったカッブの実像を語った。

 タイ・カッブは最もエキサイティングな選手だった。投手が3球投げる間に、一塁から二盗、三盗、本盗に成功した。ある人は「ベーブ・ルースが本塁打を打つよりも、カッブが四球で出塁したときの方が興奮した。なぜなら、本塁打は柵越えすればそこで終了だが、カッブは出塁したときからが興奮の始まりだから」と言った。イチローも、同じタイプのエキサイティングな選手だと思う。

 カッブの人物像を伝える話には、かなりの虚飾が盛られている。私は伝記を執筆するために多くの取材と調査を行い、それを知った。

 なぜ彼に悪評がついて回るようになったのか。実は、たった1人の記者のでっち上げから、すべてが始まっていることをつかんだ。カッブが亡くなった61年、アル・スタンプという記者がカッブの本を書いた。ただ彼は素行不良で、選手の言葉や逸話を捏造(ねつぞう)することで有名な記者だった。お金欲しさに話を誇張したというのが真相だ。大衆娯楽のなかった時代の最初の国民的スターだったので、世の耳目を集めてしまったのだろう。

 代名詞にもなってしまった「殺人スライディング」にしても、スパイクの歯をわざわざ研いで野手に向けたなどという悪評が広がったため、カッブは非常に気に病んでいた。身の潔白のために大リーグ機構にかけ合い、スパイクの歯を規制し、試合前に審判に検査させるルールを作って欲しいと訴えたほどだ。

 カッブはイチローに似ていると思うよ。当時のプレー映像が残っていればよかったのだが、ほとんどないのが残念でならない。

 ◆タイ・カッブ 1886年12月18日、米ジョージア州生まれ。1900年代初頭からタイガースで左打ちの外野手として活躍。21年からは監督を兼任したが八百長疑惑で26年辞任。最後の2年間はアスレチックスでプレー。2年目から引退するまで23年連続で打率3割以上をマーク。36年に野球殿堂の初代メンバーを決める投票では、ベーブ・ルースらをしのぎ最多得票選出。「球聖」と称される。気性の激しさから悪評も多く、葬儀に参列した球界関係者はわずか4人と伝えられている。引退後は投機でも成功を収めた。61年7月17日に74歳で死去。