ソフトバンク工藤公康監督(52)が、ヤフオクドームで宙に舞った。マジック1で戻った本拠地で、西武を下しパ・リーグ連覇を決めた。パ・リーグ17度目、1リーグ時代も含めると19度目のリーグ優勝。指導者経験もないまま就任した新人監督は、常に前向きな思考を貫きナインを鼓舞しながら戦った。127試合で85勝を挙げ貯金47。2位日本ハムに14・5ゲーム差をつけた独走劇は、パ・リーグ史上最速の9月17日に完結した。

 両手を大きく広げた。工藤監督が9度、宙に舞った。本拠地のマウンド近くで、信頼するナインと歓喜の瞬間を味わった。「最高でした。プレッシャーはあったが、99年の優勝から福岡を出て、いつか恩返しをしたい気持ちで(監督を)引き受けた。かなうことができて、こんな幸せな人間はいません!」。過去最速のパ優勝決定より2日早い9月17日。地元福岡のファンに、最高の結果で恩を返した。

 積極的な思考は、未来を切り開く-。30年に及ぶプロ生活の末につかんだ境地だ。王監督が生卵を投げられた96年。自身の成績は8勝15敗で、キャリアの中で最も負けた。得点力不足が最大の理由で、当時のコーチに「おれは勝ち星がほしいんだ」と、やけっぱちに言ったこともある。だが、今はこう思える。「結局は自分が悪い。『打てない』と言ったことが、人の耳に入れば、聞いた選手はなんだよ、って思うよな」。巨人時代は左肩痛に悩まされ、起床時に自らの肩を探すほど感覚がなかった。家族が「まるで死んだようだった」と表現する。光と影の中で、苦しい時ほど目線を上げる大事さを考えた。

 「いい経験からは意外に学ぶものはない。ケガや勝てない時、そんな時ほど、人は大きくなれる」

 春季キャンプでは、選手に消極的な言葉を禁じた。前向きな気持ちを習慣づけるためだ。自ら率先し、劣勢でもベンチで笑みを浮かべた。隣に座る森チーフスコアラーに「これをやったら、相手が嫌がるんじゃないか。面白くなるぞ」などと逆転のシナリオを語ると、自然に頬が緩んだ。両リーグ最多の36回の逆転勝利は、指揮官の信念がベースにあった。

 「マウンドに立つ資格ねえよ!」。時にベンチで怒号も飛ばした。弱気な姿勢を見せた投手を本気で叱った。「この世界にいられるのは短い。逃げの四球で交代では何も得るものがない。自信を失って野球が嫌いになるのは望まない。『おれにもできる』と思ってほしい。それが見せられるのはマウンドの上しかない」。

 勝敗以上に選手のことを考えた。開幕以来、監督の休日はたった3日。オフの過ごし方を問われ「ひたすら家でアメリカの連続ドラマを見た。後はずっと寝ていたよ」と答えていたが、実際はそれだけではなかった。ある休日はリハビリ組が早く改善するよう知人の医師と情報交換をした。別の日はDVDの編集作業に没頭した。就任以来、各選手のデータファイルを自ら作成している。福岡の自宅で資料を手に眠りに落ちたのは1度ではなかった。

 「僕が苦しいのは、大したことではない。朝から練習し、不調なら特打やバント練習に励む。選手の努力を見てきた。選手たちのおかげです」。

 どこにも負けない練習量をこなしてきたから、栄光の瞬間がある。ナインとともに同じだけの汗を流した。信念を貫けば、夢は現実になる。新人監督の快挙には、明確な根拠があった。【田口真一郎】