日本ハムの大ベテラン中嶋聡捕手兼任バッテリーコーチ(46)が今季限りで現役を引退することが28日、分かった。今季で29年目。阪急-オリックス-西武-横浜-日本ハムと渡り歩いた、激動の野球人生にピリオドを打つ。西武時代にソフトバンク松坂、07年から指導者を兼任した日本ハムではダルビッシュら数々の若手投手に影響を与えてきた名女房役。関西の名門・阪急ブレーブスでプレー経験を持つ最後の現役選手が、球界から去る。

 引き際と決めた。中嶋がユニホームを脱ぐ決意を固めた。野手の現役最年長46歳、29年間の野球人生。今季を区切りと覚悟した。寡黙で武骨なキャラクターを貫徹する。コーチという立場も加味。最後までペナントレース、ポストシーズンをまっとうした後に、身の振り方を表明する予定でいるという。中嶋の思いを球団側も尊重し、意向を受諾する方向。今季公式戦の札幌ドームでの最終戦、10月1日ロッテ戦でささやかな「引退セレモニー」を開く方向で最終調整する。

 日本球界に残る最後の「阪急戦士」だった。86年にドラフト3位で秋田・鷹巣農林(現在は閉校)から阪急へ入団。最大の特長だった強肩で、1年目の87年から1軍へ、2試合出場した。「すごい人ばっかりだった」。同郷の大先輩の大投手、山田久志氏(67=日刊スポーツ評論家)ら個性あふれる投手陣に囲まれ、キャリアをスタート。オリックスに球団名を変更後は、マーリンズ・イチローらとともに日本一1度を含む95年からのリーグ連覇を支えた1人だった。

 激動を乗り越えて築いた存在価値で、選手生命を伸ばした。オリックス時代の97年オフにFA宣言し、メジャー挑戦を表明。エンゼルスなど複数球団が関心を示したが、最終的に断念。西武入りしたが、捕手では日本人初の大リーガーを志したこともあった。西武でレギュラー定着はならなかったが、移籍2年目に入団した松坂とコンビを組むなどし、陰から成長を後押し。03年に横浜で1年間プレーし、そのオフの日本ハム移籍が転機だった。

 唯一無二の生き様を貫いた。札幌ドームに本拠地移転した04年に日本ハム入り。ブルペン陣の勝利の方程式とセットで途中出場する「抑え捕手」として活躍した。06年に25年ぶりリーグ制覇、44年ぶり日本一。コーチ兼任となった07年も、同じ役回りで球団史上初の連覇へ導いた。同時期にエースの座を確立したダルビッシュも師事し、理論に傾倒。メジャーでトップランクの現在へ至る過程へ影響を与えた。捕手として、指導者として日本ハムで4度のパ制覇へと導いた功労者の1人が、中嶋だった。

 慕われ、愛される人柄で知られた。近年は出場機会が激減していたが、球場に早出が日課。指導者として不足する練習を補うルーティンを怠らない姿勢は、若手に刺激を与え続けた。今季は4月15日ロッテ戦の1試合出場のみだが、実働29年のプロ野球タイ記録を樹立。目立つことはなかったが、重みある数字を刻んだ希代の名捕手が去る。

 ◆中嶋聡(なかじま・さとし)1969年(昭44)3月27日、秋田県出身。鷹巣農林から86年ドラフト3位で阪急に入団し、西武、横浜、日本ハムに所属した。07年からバッテリーコーチ兼任。表彰は89年ゴールデングラブ賞、95年ベストナインなど。オールスター6度出場。182センチ、82キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸3200万円。

<中嶋伝説>

 ▼素手キャッチ 阪急時代の90年9月20日、日本ハム戦(東京ドーム)で、旭川市出身の星野伸之投手(現オリックス投手コーチ)が投じたスローカーブが、すっぽ抜けて右打者の外角に大きく外れたが、何食わぬ顔で右手で捕球した。

 ▼3球団で日本シリーズ(S) 日本ハム時代の06年日本S(対中日)第2戦(ナゴヤドーム)で8回の守備から出場。オリックス、西武時代に続き、史上7人目の3チームでの日本S出場となり、9回の右前打で史上初の3球団で安打を記録した。

 ▼プロ野球記録 今年4月15日のロッテ戦(札幌ドーム)で、9回の守備から今季初出場。工藤公康(現ソフトバンク監督)が持つ実働年数29年のプロ野球記録に並んだ。

 ▼昭和ラスト 86年(昭61)ドラフト3位で阪急に入団。昭和に入団した選手では、中日の山本昌、谷繁が今季、既に現役引退を表明したため最後の現役選手。