4番候補の武器は怪力だけじゃない。中日の新外国人、メジャー66発のダヤン・ビシエド外野手(26=ホワイトソックス3A)が小兵2人から忍耐を学んだ。30日、北谷球場での合同自主トレに参加。室内でのフリー打撃では大島、亀沢の打撃練習にじっと見入り、日本で成功するヒントを探った。「細かいチェック」を重ねて、日本のキャンプに突入する。

 青い眼の先には、大島と亀沢がいた。新助っ人の4番候補ビシエドはひと通りメニューを終えると、大島、亀沢、ナニータとともに室内練習場でマシン打撃を「おかわり」。自分が打たない時には、大島と亀沢の打撃をネット裏からまじまじと観察していた。

 「忍耐、我慢が必要だと感じた。投手の投げる球に対してもそうだ。変化球も攻め方も変わると思うので、対策をしていかないといけない」

 自分に言い聞かせるように話した。決して長距離砲とは言えない2人から、日本野球を感じ取っていた。この日、打ち込んだのはストレートマシンとカーブマシン。4人が交代しながら約40分間、取り組んだ。ビシエドはカーブマシンに対し、打ち損じることもあった。大島と亀沢は打席でタイミングを取り、鋭い打球を打ち返す。ゆっくりと曲がってくるボールを粘って待つ。そんな姿に、ヒントを得たようだ。

 前日29日の初練習でもフリー打撃は柵越えゼロ。「今日、余分に打ったのは少しずつ慣れたいからだよ。続けて打つことが大切だと思うから」。来日は長旅だった。体調は本調子ではないが、取り戻すためには動くしかなかった。

 もちろんメジャー通算66本塁打を放った大砲には、4番打者としての期待もかかる。14年にはマリナーズ岩隈から本塁打を放ったパワーもある。しかし、日本人投手と数多く対戦したわけではない。まずは日本野球を知るため、チームの打者も研究材料にした。

 郷に入っては郷に従え-。タイプがまるで違う打者からも学び取ろうと必死だった。森ヘッドコーチも「日本の練習についていく忍耐もある」と認めていた。日本人らしい姿勢も、ビシエドの武器なのかもしれない。3年連続Bクラスのチームを浮上させるキーマンとなりそうだ。【宮崎えり子】

 ◆ダヤン・ビシエド 1989年3月10日、キューバ生まれ。19歳で米国に亡命し08年にホワイトソックスとマイナー契約。10年メジャーデビュー。メジャー通算483試合、打率2割5分4厘。3月に第3子の男の子が誕生予定。ニックネームは戦車のように強くて大きいことを意味する「エルタンケ」。185センチ、108キロ。右投げ右打ち。