元日本人最速投手が不屈の魂でカムバックした。ヤクルト由規投手(26)が、本拠地・神宮での中日戦に先発。11年に右肩痛を発症し、同年9月3日巨人戦(神宮)以来、1771日ぶりの1軍マウンドに上がった。最速149キロ、5回0/3を10安打6失点。13年の右肩手術、育成選手から再スタートなどの苦闘を乗り越え、敗戦投手にも力強い復活の1歩を刻んだ。

 上半身を目いっぱいひねった。由規は下半身に体重を乗せ右腕を振り切った。1点ビハインドの6回無死満塁。フルカウントからの6球目、この日最速タイの149キロで代打森野からファウルを奪った。7球目の146キロは押し出し四球となっても「アドレナリンが出ましたね。勝負したかった」と悔いはなかった。全7球とも直球勝負。一塁側ベンチに退く背番号11に歓声と温かい拍手が送られた。

 逃げずに攻めた。初めて先発バッテリーを組んだ中村とは、「直球で入ろう」と決めていた。初回先頭の大島に、146キロ直球は真ん中低めに外れた。カウント2ボールから右翼線に二塁打されたが、故障の癒えた右肩は元気だった。5年のブランクを感じさせない、ムチのようなしなり。「大げさかもしれないけど、夢のようでした」と振り返り、「正直に悔しいです。投げられた姿は見せられた。次こそは勝利を届けたい」と唇をかんだ。

 プライドを捨て、はい上がってきた。かつて161キロを計測し、日本人最速を手にした男。故郷東北が震災に見舞われた11年に右肩痛を発症し、野球人生が暗転した。「とにかく痛みが出ないところで。スピードばかり求められてしまうけど、アベレージで145キロが出ればいい」。速球派のこだわりを捨て、昨オフには高校時代のスリークオーターに挑戦。だが「スライダーが横滑りしてしまう」と気付き、肘の位置を少し上げた。スリークオーターとオーバーハンドの中間。右肩に負担のかからないピンポイントを探した。

 利き手は「左」。字を書くのも、打席も左。だからこそ、もがき苦しんだ。「左手で右手と同じように投げられるのなら」と漏らすこともあった。右肩痛は飛行機の気圧で激化し、髪の毛を洗うことも、ままならなかった。ふとんも、掛けられなかった。あおむけで寝られない時期もあった。バスも窓側は避けた。右側に壁があるところでは、接触して痛む恐れがあった。「本当に戻れるのか」。大きな不安と闘った。

 試合後、一塁側ベンチからクラブハウスへの道のり。何人ものファンから「お帰り」「待っていたよ」と声を掛けられ、お辞儀を繰り返した。右翼の前で最後に一礼。充血した目は、潤んでいた。「ファンからの言葉は鮮明に聞こえました」。由規が元気に帰ってきた。【栗田尚樹】

 ◆由規(よしのり)本名佐藤由規。1989年(平元)12月5日、仙台市生まれ。北仙台小4年で野球を始める。仙台育英では2年夏から3季連続甲子園出場。2年夏の宮城大会決勝は引き分け再試合を制し、2試合完投。3年夏に甲子園で最速156キロ。日米親善高校野球では日本ハムのスピードガンで157キロを記録。07年高校生ドラフト1巡目でヤクルト入団。10年8月に当時日本人最速の161キロを出した。179センチ、80キロ。右投げ左打ち。

 <由規の苦闘アラカルト>

 ▼11年9月3日 巨人戦(神宮)で7回2失点で7勝目。最後の1軍公式戦登板。

 ▼同9月9日 右肩の張りで出場選手登録を抹消。

 ▼12年2月27日 韓国KIAとの練習試合に登板。最速151キロで2回1安打3奪三振。

 ▼同4月13日 富士重工との練習試合に先発、最速146キロで8回8安打3失点。手術前最後の実戦登板。

 ▼同4月21日 右肩の違和感でイースタン・リーグ巨人戦(那覇)先発を回避。

 ▼同5月24日 都内病院での検査で左脛骨(けいこつ)粗面の剥離骨折で全治2カ月と診断される。

 ▼13年4月11日 横浜市内で右肩関節唇、腱板(けんばん)の内視鏡クリーニング手術。

 ▼14年6月5日 フリー打撃に登板し41球。打者への投球は783日ぶり。

 ▼同6月14日 フューチャーズ戦に先発、最速155キロで1回無安打無失点。792日ぶりの実戦登板。

 ▼同8月6日 イースタン・リーグ巨人戦に先発、5回3安打3失点で勝利投手に。この後、右肩の違和感を訴える。

 ▼同11月16日 クラブチームの松山フェニックス戦に登板し、2回無安打無失点。最速は148キロ。

 ▼15年2月22日 日本ハムとのオープン戦で3年半ぶり1軍登板。2回1安打無失点で最速151キロ。

 ▼同3月11日 東日本大震災から4年、オリックスとのオープン戦に登板。3回1安打無失点。最速150キロ。

 ▼同11月12日 年俸800万円減の1500万円で育成選手として契約。背番号121。

 ▼16年7月5日 背番号11で支配下登録に復帰。

 ◆腱板の手術を受けた主な選手 由規と同様に腱板と関節唇のクリーニング手術を受けた投手は、馬原(オリックス)斎藤隆(横浜時代)松坂(ソフトバンク)らがいる。腱板修復手術は、石井弘(ヤクルト)斉藤和(ソフトバンク)ら。川上(中日)は右太ももの筋膜を右肩の棘上筋(きょくじょうきん)に移植する再建術を受け、動向が注目されている。