負けてたまるか-。そんな気持ちを胸に、川端はマウンドに上がっていた。8年目のシーズン。中継ぎを主戦場とした。対戦相手にだけではない。チームメートもライバルだった。「侍みたいな人が多かった。正直に言えば、チームのために戦うのではなく、自分たちが自分たちのために戦っていたんじゃないかな」。個性派集団の中で28試合に登板し、防御率2・36と存在感を発揮した。

 今思えば、首脳陣に乗せられていた。「山本監督、大下ヘッドを中心に選手をその気にさせてくれたおかげだった」。主力選手が監督室に呼ばれていたのは知っていた。川端に声がかかったのは、首位中日を射程圏に捉えた8月。同学年の川口とともに、体調管理の徹底と若手のけん引役を託され、最後に大下ヘッドから頭を下げられた。驚きと同時に、気が引き締まった。マジック点灯とともにチームに「輪が生まれた」ことを実感。本物のチームになったような気がした。

 編成部長としてチームづくりに携わってきた。「今のチームはいい形でベテランと若手がかみ合っている。チームの輪で勝っているように感じる」。チーム方針もあり、当時とは異なる色を持ったチームとなった。誰かを蹴落としてでもはい上がろうとする強さから、手に手を取り合うことができるチーム。「そんな役には立てていない」と謙遜するが、「素晴らしいチームになったと思う」と温かい笑顔で歓喜の瞬間を待っている。(敬称略)【前原淳】

 ◆川端順(かわばた・じゅん)1960年(昭35)3月19日、大阪府出身。鳴門から法大、東芝を経て83年ドラフト1位で広島入団。2年目の85年、11勝を挙げ新人王。91年は中継ぎとして28試合に登板し、5勝1敗1セーブ。防御率2・36。92年限りで現役を引退。通算成績は310試合46勝26敗19セーブ、防御率3・00。2軍、1軍投手コーチを歴任し、現在は編成部長。右投げ右打ち。