今月10日に肝不全のため48歳で亡くなった巨人編成調査室職員、水沢薫(みずさわ・かおる)さんの告別式が17日、横浜市の新横浜総合斎場で営まれた。286人が参列し別れを惜しんだ。

 1軍監督付として、原辰徳監督(55)と名コンビだった。原監督は弔辞を読んだ。以下全文。

 1月10日早朝、突然の訃報が入ってきました。あなたは87年、巨人軍に入団し、選手、コーチ、そして監督付きマネジャーとして長きに渡り友人であり、そして戦友でもありました。特に2008年より監督付マネジャーとして、私はあなたに支えていただきました。共に戦い、共に喜び、共に悔しがり、たくさんの思い出を作りました。

 WBCの世界一。2度の日本一。常に前向きで堂々としているあなたの姿に、私は勇気づけられたものです。素直な心、感謝する気持ち。私もあなたに教えていただきました。

 おいしいものを食べるのが大好きで、感動したものは必ず写真を撮っていましたね。ワインのことも全く知らなかったミズ。最初に2人で飲んだワイン覚えていますよね。シャンベルタンです。「ナポレオンがこよなく愛したワインだよ」と説明をしましたよね。その味が相当気に入ったんだね。そんな機会があるたび、シャンベルタン、シャンベルタンと。ミズ、本当に味がわかっていたんですか?

 WBCで、サンディエゴで試合をしましたね。その時サンディエゴ動物園に散歩に行こうと決め、ホテルからタクシーに乗りましたよね。その時にタクシーの運転手さんに「go

 toアニマルパーク」とミズは言って、キョトンとされましたね。その時は、少し僕が手伝ったような気がします。

 今思えばあれが最後のシーズンでした。2012年、5冠を達成し最高の年でした。シーズンオフ、私はあなたを「健康診断に一緒に行こう」と誘いました。いつものように「ありがとございます。お願いします」と言って向かいました。そこからちょっと辛かったな。

 旅行にも行きましたね。そしてその年のV旅行の日がやってきました。あなたは、家族と先生とよく話をして、V旅行に行く事を選択しましたね。久しぶりに成田空港で再会をしました。私は何も言わずにあなたを抱きしめ、あなたも私を抱きしめました。「共に戦おう」。と言葉を搾り出しました。

 みんなに好かれたミズ。たくさんの人が力になってくれたな。弱音をはかず、ただただ元気になり現場に戻るんだ!

 その希望の中、頑張りましたね。2013年1月から始まった治療、4月、5月、6月。まさに順調でした。「ミズ、オールスター以降、現場復帰目指そう」。私は本気で言い、あなたも本気でそう思いましたね。姿かたちも全く変わらず、食欲も見事でした。しかしかないませんでしたね。「ミズ。ちょっと早かったな。もう少し時間をかけよう、焦らずにまた頑張ろう」「また、1から頑張ります」。そう明るく私に答えてくれましたね。

 私はあなたが亡くなる日の夕方、電話をしましたね。少し体力が落ちていた事は気付いていましたが「ミズ、ちょっとしんどそうだな。もう少し体力が上がって元気になってから病院に行くよ」「そうしてください。頑張ります」。それが最後の言葉でした。

 ミズ、俺は悲しい。早すぎる別れだな。

 でもミズは精いっぱい、全速力で頑張りました。あなたが愛した家族、奥様、2人のお嬢様、そして参列してくださっている皆さま。今はみんな悲しい。でもあなたが教えてくれた、くよくよせずに前向きに進む。この事はみんな分かっています。

 ミズ、ミズはそんなことを心配せずに、天国に行ってまずはゆっくり休んでください。

 だって頑張ったぜ。ミズ。

 そして元気になったら天国から家族、みんなを見守ってください。安らかに。

 水沢薫、さようなら。読売巨人軍監督、原辰徳。