28日のオリックス戦で現役を引退したロッテ里崎智也捕手(38)が、日刊スポーツに手記を寄せた。実は身につけていたという特殊能力をどのように生かしたのか。その能力はいかにして手に入れたのか。16年間のプロ生活の最後に極意をつづった。

 

 

 

 

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 最後は気持ちよく歌わせてもらった。「伝説のステージ」をやりたいというのは、ずっと考えていたことなので、実現できて最高の気分だった。集まってくれたファンの皆様や、わがままをやらせてくれた球団には、感謝の言葉を言い尽くせない。本当に、ありがとうと伝えたい。

 これで16年間のプロ野球人生が終わった。いい野球人生だった。2度の日本一にもなれたし、いっぱいお金を稼ぐこともできた。野球をとったら僕はただの人。こんないい仕事は、他になかったと思う。

 捕手として、各チームの強打者と繰り広げた駆け引きには、プロ野球の醍醐味(だいごみ)があった。日本ハムの稲葉さんから「サトのリードはしつこい」と言われたことがある。思えば、どこまで攻められるか、もう少しいけるのか。そう常に考えながらサインを出していた。

 プロ野球選手になるような人は、不得意な球でも意識さえしていれば打つ。その意識をどこに持っていかせるかが、打者との駆け引きだった。自分には打席に各選手の影のようなものが見えていた。影は、その選手のスタンダードな打ち方のモーションになっていた。影と実際に打席に入った選手の動きが重なれば、いつもと同じ。でも、少し肩が入っているとか、逆に体が開いてるとか、影とのズレを見ることで、わずかな変化に気がつくことができた。打者の意識がどこにあるのか探るのに、大いに役立った。サインを出す根拠にもなった。

 若い頃、福浦さんからビデオの見方を教わったのが大きかった。テレビを2画面にして、画面に映ったフォームの特徴が出ているところにテープを貼ってマークした。それで、違いを見られるようになっていった。最初は「ん?

 なんか違うな」と思って確認する作業が多かった。そのうちに影が見えてきた。試合中も大塚さんとタッグを組んで、よく相手投手を見た。確認を繰り返しながらクセを探した。

 よく「口が立つ」と言われる。でも昔は寡黙な少年だった。小、中、高校と主将を務めたが、黙って引っ張るタイプ。そんな自分を変えたのは、たぶん東京だ。徳島と違って東京という街は自己主張をしないと押しつぶされてしまうところだった。のし上がるため、有言実行を貫くようになった。発言することで自分を追い込んで、やってきた。それが里崎智也という野球選手をつくる元になった。

 だれよりも自分を信じ抜いてやった。野球は自信をくれた。口だけの選手にはなりたくなかったから、なるべくボールを後ろにそらさないよう努力したし、投手から何か聞かれれば、しっかり返せるように準備した。ここでもわずかな変化に気が付けることが役立った。試合後、2時間ぐらいビデオを見て、大抵のことを頭に入れていた。先輩、後輩の関係なく、口うるさく言った。煙たかったかもしれない。でも、自分にとっても、嫌われるかもしれないことを言うのは、辛いことだった。

 だから、口うるさくしてきた後輩たちから「引退試合、見に行きます」って言ってもらった時はうれしかった。やってきたことも無駄ではなかった。ちゃんと受け止めてくれていたんだなと思った。仲間にも恵まれていたことに、あらためて気付かされた。

 ファンの皆様にはお礼を言いたい。あれは05年のプレーオフ第5戦でのこと。第3戦で4点差を追いつかれた小林雅さんをマウンドで待ち受けていた。不安で仕方がなかった。でもスタンドを見たら「I

 believe」と書いたボードが掲げられていた。あれで迷いが消えた。試合に勝てたのは皆様のおかげ。奮い立たせてくれる、すごい力を感じた。自分は引退したが、これからも変わらずロッテを支えて欲しい。そう切に願っている。(ロッテ捕手)