<さよならプロ野球>

 2014年も多くの選手が球界の第一線を退いた。「さよならプロ野球」で新たな人生を歩み出した元選手を紹介する。

 大きな手が小さなキーボードをたたく。今月に入り兵庫県内のパソコン教室に大男が通っていた。ユニホームをスーツに、バットをペンに持ち替えた。引退した元阪神日高剛捕手(37)はプロスカウトとして第2の野球人生をスタートする。

 「最初の(球団から)言われた時、どういう仕事なんだろうと思った。でも、なめられたくないと思った。それが一番の理由かな」

 引退後、すぐパソコン教室に通った理由を日高はこう答えた。オリックスで17年、FA移籍した阪神で2年間プレーした。故障した時はパーソナルトレーナーと契約して、体の構造を勉強した。先を見通し用意する。プロの捕手として磨いた〝準備力〟が日高をパソコン教室へと向かわせた。

 19年のプロ野球人生に幕を引いたのは9月だった。球団に通告されたのは9月末だったが、すでに察していた。夏頃、小さい時からスパルタで野球をたたき込んだ父が自宅に遊びにきた。2人だけになったタイミングでこう切り出した。

 「今年でたぶん、終わると思う」

 「そうか…」

 それだけで十分だった。プロに入ってから父はいつもそうだった。大事な人は皆、日高の決断を尊重してくれた。19年の経験と、築き上げてきた人間関係は第2の人生での財産になる。

 古巣オリックス時代の先輩で、現在も尊敬する田口壮氏(野球評論家)はこう言ってくれたという。

 「バックネットの後ろから野球を見ているだけじゃだめだ。この選手はこうしたら、よくなるんじゃないか。そういう視点で見ろ」

 古巣オリックスのことは気になる。ただ、今、胸にあるのは阪神の編成部員として尽力すること。1人、パソコン教室に通う姿に決意がにじんだ。【鈴木忠平】

 

 ◆日高剛(ひだか・たけし)1977年(昭52)8月15日、福岡・北九州市生まれ。九州国際大付から95年ドラフト3位でオリックス入団。3年目の98年から1軍に定着し、正捕手として活躍。12年オフにFA宣言し、阪神へ移籍。今季は1軍出場2試合にとどまった。プロ通算1517試合に出場し、打率2割3分7厘、79本塁打、434打点。右投げ左打ち。