わたくし川崎市の平野です!

 阪神平野恵一内野手(31)に11日、「後援会」が設立された。なんと神奈川県川崎市の公認で発起人に阿部孝夫市長(67)が名を連ねるお堅い?

 組織。同市にとって初めてのプロ野球選手のバックアップで、行政が一選手の後援会に関与する異例の形態となった。一躍、川崎の顔となった平野が野球人口減少に悩む地元を救う。

 ワイシャツ、ネクタイに腕カバー。七三分けでセットを決めて、チャイムが鳴れば業務開始。「市役所の平野さん」のお仕事は、川崎市のPR…もちろん、実際に役所の中で働くわけではないが、このほど地元から仰せつかった仕事は想像以上かもしれない。

 昨年末から500通の署名を集めて、地元川崎で「後援会」が立ち上がった。発起人には阿部市長が名を連ねるなど、全市を挙げた異例の応援態勢だ。

 「うれしいですね。プレッシャーもあるけど、さらなる力になる。自分はまだ、野球界のためにどうこうとは言えないけど、応援してくださった方に感謝して、これからの世代に何かできればいいと思います」

 川崎市でも初の全面バックアップは、在京球団の選手ではない。リーグ2位の打率3割5分をマークし、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。全国区の活躍が「平野ブランド」を確立し、関東圏の自治体からお呼びがかかった。

 「プロ野球人気も低迷していると言われる中で、ファンの皆様にも何か還元していかないといけない。黙っていてもファンが来る時代じゃない」

 使命は川崎の野球人気復興に尽力すること。90年代、Jリーグ創成期。カズ、ラモスなど人気選手が多数所属していたヴェルディ川崎(現・東京V)が本拠地を置いた。その熱狂の余波で野球人気は衰退。川崎球場を本拠地とした大洋(横浜)やロッテがフランチャイズを移したことも、野球熱を冷ます一因となった。

 この日の野球教室には多摩区東部の6チーム小学生250人が参加した。だが最盛期には12チームがあったといい、その数は半減した。

 同市は現在、Jリーグの川崎フロンターレや、プロトランポリン選手の中田大輔などを「川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー」として認定。異競技間の交流も盛んだ。中学時代までサッカー部に所属していた平野と、川崎フロンターレとのコラボレーションも検討される。後援会の方針は「子供に夢と希望を与える」。地元の星がシーズンオフでも、グラウンド同様に走り回る。

 [2010年12月12日10時58分

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