阪急、近鉄などで監督を務め、25日に心不全のため死去した西本幸雄(にしもと・ゆきお)氏(享年91)の通夜が28日、兵庫・西宮市高畑町2の25、エテルノ西宮で営まれた。近鉄OBで前日本ハム監督の梨田昌孝氏(58)ら約350人が参列した。戒名は慈徳院釈将幸(じとくいんしゃくしょうこう)。

 近鉄初優勝の79年に広島と日本シリーズを争った伝説の「江夏の21球」の映像が場内に流れ、ユニホームを脱いだ81年の最終戦で阪急ナインから胴上げされる白黒写真も並んだ。白い菊で埋まった祭壇の遺影。ロマンスグレーの髪の西本さんはちょっぴり若く、優しく笑っていた。しかし、教え子たちは泣いていた。

 阪急時代のエースだった山田久志氏(63=日刊スポーツ評論家)は目に涙を浮かべ「つらい。悲しい」とかすれ声。厳しくしごかれながら阪急の黄金期を支えた。「監督というより人生の師匠。この世界で生きていくには自分に勝たないといけないぞ、特に投手はと。勝てない時代に言われたので重みがあった」。

 26日に阪急のユニホーム姿で弔問に訪れたの福本豊氏(64=野球評論家)は「新聞記事を読むたびに泣いています。僕が一番世話になったと勝手に思っている」とやつれ気味の顔だった。今日29日の葬儀・告別式では近鉄時代の教え子、梨田氏が弔辞を読み上げる。