<セCSファイナルステージ:巨人4-2中日>◇第6戦◇22日◇東京ドーム

 巨人に「10・22」新伝説が生まれた。最終第6戦までもつれ込んだクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージで勝利。2回に伏兵寺内崇幸内野手(29)の左前先制打など5安打で3点を先制し、逃げ切った。3連敗の崖っぷちから3連勝。アドバンテージ1勝を含め4勝3敗とし、3年ぶりの日本シリーズへ駒を進めた。94年の「10・8」決戦をほうふつとさせる、しびれる戦いを制した。日本シリーズは27日に東京ドームで開幕し、パ・リーグを制しCSを突破した日本ハムと対戦する。

 予期せぬ喜びが待っていた。日本一まで予定になかった胴上げが始まった。原辰徳監督(54)は両手を振って固辞したが、リーグ優勝の8度より2回多い10度、宙を舞った。「選手はだいぶ疲れているだろうと思って。私は辞退しようと思ったのですが、選手が『ぜひ!』と言うので、大変ありがたくいただきました!」と、驚きながらナインに感謝した。伝説的な逆襲ゆえのサプライズ。監督に内緒で画策された胴上げだった。

 絶体絶命の3連敗から3連勝。勝てば天国、負ければ地獄。まさに決戦を制した。「非常に価値ある日本シリーズ出場だと思います。最初は2、3発、ひっぱたかれ、それからはい上がり、七転び八起きの精神で、1つ上にランクが上がったと思います。進化しました!」と、ナインの成長を激賞した。

 今季らしいフィナーレだ。4連打&犠打&適時打。打線の絡みで2回に3点を先制した。統一球2年目の今季、1点にこだわるゲーム運びを徹底した。原監督は、春先から「甲子園野球」と表現。主軸にもバントを課し、進塁打に重きを置き、「打線の絡み」を重視した。2回だ。先頭の高橋由の左前打から、村田も左前打で続いた。さらに古城も逆方向に安打を放ち無死満塁。そこで寺内が1ボール2ストライクと追い込まれながら左中間に先制2点適時打を放つ。主軸ばかりではない。シーズン貯金「43」は、下位打線もつなぎが出来たからこそ。1年かけてはぐくんだ「甲子園野球」が、実を結んだ。

 前日にも象徴的なシーンがあった。2-2同点の8回だった。無死一塁で打者は松本哲。原監督はベンチでどっしりと座りながら、坂本に伝令を指示した。「三塁手が前に来たら、バントではなく、打ってもいいぞ」。コーチのサインや口頭ではなく、選手の坂本にささやかせる手法に、松本哲は「高校野球ですよね」と、原点回帰と同時に監督の執念を実感。「絶対にバントを決める」と決意できたと言う。

 苦戦は予期していた。4戦目先発を伝えていた杉内が、直前に登板回避。CS2日前の15日、「もし杉内が投げられなかったら」の問いに原監督は「それはない」とした後、しばし間を置き「それは苦しいよ…。苦しいな」と続けた。不吉な予感が漂う中、総力戦でカバーし、乗り越えた。20日に108球を投げていた沢村は、中1日で救援登板。あの伝説の「10・8」に中1日登板の斎藤(現コーチ)のような気迫の継投も成功した。

 試合前、原監督は「今日はまさに決戦だ」とナインを鼓舞し、投手円陣の中心で山口が「オレたちは強い!」と叫び「ウオオオオ」と雄たけびが上がった。熱かった「10・22」。巨人の新たな伝説が生まれた。【金子航】

 ◆伝説の10・8

 94年10月8日、ナゴヤ球場で行われた中日-巨人26回戦。プロ野球史上初めて、同率首位でシーズン最終戦を迎えたチーム同士が戦い、槙原-斎藤-桑田のリレーで巨人が6-3で勝ち優勝した。

 ▼巨人が3連敗から3連勝で09年以来、通算33度目の日本シリーズ出場を決めた。プレーオフ、CSのファイナルSで逆王手から出場は77年阪急(○●●○○)10年ロッテ(■○●●○○○)に次いで3度目。セ・リーグのCSは6度目だったが、シリーズ出場は中日→巨人→巨人→中日→中日→巨人と、巨人と中日が3度で並んだ。今年の日本シリーズは巨人と日本ハムが対戦。過去に両チームの対戦は81、09年の2度あり、ともに巨人が日本ハムを倒して日本一となったが、今回は?