中日高木守道監督(72)が2年契約が満了する今季限りで退任することが23日、分かった。今日24日に行われる前半戦総括のオーナー報告会で、白井文吾オーナー(85=中日新聞会長)が続投要請しないことが判明。球団は今後、新監督選びに着手する。OB中心の後任候補には牛島和彦氏(52=元横浜監督)やケン・モッカ氏(62=元ブルワーズ監督)立浪和義氏(43=野球評論家)井上一樹氏(41=1軍打撃コーチ)らの名前が挙がっている。

 中日の監督人事はオーナーが強い権限を持つ。このため、近年は契約最終年のオーナー報告会が去就判断の目安になっている。落合前監督は08年7月、「あと3年やってもらう」と長期政権を約束された。ただし、11年は落合監督から「契約をどうするか教えてほしい」と望んだが明言されず、9月に退任発表、高木新監督誕生の運びとなった。

 2年契約での退任自体は既定路線で、高木監督も日刊スポーツの正月インタビューで「今季限り」を明言して13年に臨んだ。ただし、優勝など好成績なら3年目続投の可能性もあった。昨年は首位巨人に10・5差をつけられての2位。今季も3位ながら借金9で、首位巨人に13・5差をつけられ自力Vが消滅した。主力に故障者が続出した不運もあるが、世代交代の課題も残り、チームは新監督を迎えて大刷新の道に進む。

 後任はOB中心の人選になる見込みで、元守護神で横浜監督も務めた牛島和彦氏の名前が挙がっている。前回の新監督選びでも高木守道氏と並ぶ候補に浮上。卓越した野球理論と情熱指導に対する球団内の評価は高い。さらに、80年代前半に主砲で活躍したケン・モッカ氏も候補の1人。熱血派として知られ、メジャーでもアスレチックスやブルワーズの監督を歴任するなど経験豊富だ。また、ミスタードラゴンズで待望論が根強い立浪和義氏、内部昇格では高木監督も候補の1人と認める井上一樹打撃コーチの名前が挙がる。

 高木監督はこの日「私はもう十分。新しいドラゴンズになっていかんとあかん」と、あらためてユニホームを脱ぐ覚悟を明かした。新監督選びは今後、8月から9月にかけて本格化する。この間チームは高木監督の有終を飾るべく、大逆転Vと最低目標のCS進出をかけて死力を尽くす。もちろん高木監督もそのつもりだ。

 「残り60試合、うちは勝っていくしかない。みんなが前半戦の借りを返すぐらいの気持ちでやっていかんとあかん。一丸になって、全部勝つつもりで1戦1戦を戦っていく。そのあとはケセラセラだ」。ナゴヤドームでの練習を見守ると、スペイン語の「なるようになる」を持ち出して決意を表した。究極目標は退任を逆転日本一で飾っての勇退。今日開幕の後半戦で、最後の大勝負も幕を開ける。

 ◆ケン・モッカ

 1950年9月29日、米国ペンシルベニア州出身。72年ドラフト6巡目でパイレーツに内野手として指名され、74年にメジャーデビュー。82年に中日入団。4季プレーし通算打率3割を超える打率を記録した。帰国後はメジャーリーグのコーチなどを経て、03年にアスレチックスの監督に就任。4年間で2度の地区Vを果たした。09年から2年間、ブルワーズの監督も務めた。右投げ右打ち。

 ◆牛島和彦(うしじま・かずひこ)1961年(昭36)4月13日、大阪府生まれ。浪商(現大体大浪商)時代、香川伸行捕手とバッテリーを組み、79年センバツ準優勝。同年1位で中日入団。87年に落合との1対4のトレードでロッテに移籍。その年に2勝24セーブで最優秀救援投手になった。93年現役引退。04年オフ横浜監督に就任した。現役での通算成績は53勝64敗126セーブ。防御率3・26。右投げ右打ち。

 ◆立浪和義(たつなみ・かずよし)1969年(昭44)8月19日、大阪府生まれ。87年にPL学園主将として春夏甲子園を連覇し、同年ドラフト1位で中日入団。1年目から新人王に輝く活躍で88年のリーグ優勝に貢献。03年に2000安打を達成して名球会入り。09年に引退し通算2480安打は歴代8位、487二塁打は同1位。ベストナインを2度、ゴールデングラブ賞を5度獲得した。今春のWBCでは打撃コーチを務めた。右投げ左打ち。

 ◆井上一樹(いのうえ・かずき)1971年(昭46)7月25日、鹿児島県生まれ。鹿児島商2年夏に甲子園に出場した。89年ドラフト2位で中日入団。投手で9試合に登板したが、93年から外野手に転向。09年に現役引退し、翌10年に中日打撃コーチ就任した。11年には2軍監督も務めた。高木政権が発足した12年からは1軍打撃コーチでチームを支えている。通算成績は1213試合、863安打、79本塁打、打率2割7分6厘。左投げ左打ち。