<阪神1-4巨人>◇7日◇甲子園

 あまりにもすがすがしい「神様」のお別れだった。阪神の最年長選手、桧山進次郎外野手(44)が7日、西宮市内ホテルで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。阪神ひと筋のプロ22年は球団史上最長。ファンや支えてもらった家族への感謝を述べながら、まだ残る日本一への可能性を目指し完全燃焼する決意を語った。

 100人以上の報道陣が詰めかけた。登壇した桧山は深く息を吸い込むと、宣言した。

 「私、桧山進次郎は今季限りをもちまして、引退する決意をしました」

 晴れ晴れと澄み切った表情が、背負ってきた苦悩と重圧の深さを物語っていた。虎一筋22年、すべてをタテジマにささげた男がユニホームを脱ぐ。44歳を迎えた今シーズン、自らに訪れた1つの変化が引退の理由だった。

 「代打の神様」。そう呼ばれるようになってからも美学を貫いてきた。打って、守って、走った。こだわりの象徴が試合前のシートノックだ。右翼で全力で打球を追い、投げる。わずか10分足らずの「舞台」に、生き様を表現していた。それが今年の夏場、シートノックに入れないことがあった。

 「野球人とは僕の中では打って、守って、走って。シートノックはバロメーター。体はどこも痛くないけど動けないという自分が嫌だった。それはあかんやろ。お前何してんねん、というのがあった。自分自身にウソをつけなかった」

 悩んでいた9月1日の日曜日、南球団社長から時間を取ってほしいと連絡を受けた。すべてを察した。その場で決断を伝え、和田監督にも報告した。翌2日には横浜へ移動する前に、両親に報告した。

 セ・リーグ歴代2位の代打通算打点、代打安打を打ち立ててきた。ただ、積み上げてきた1945試合を振り返り、ハイライトに上げたのは2つだった。

 プロ2年目の93年7月、2軍選手の球宴「フレッシュスターゲーム」に選出されると、福岡ドームでの試合に初めて両親を招待した。3番打者として本塁打を放ち、MVPを獲得した。試合後の両親の表情が今も忘れられないという。

 「試合が終わった時、両親の顔を見て、ああ、プロ野球に入ってよかったなと思いました」

 もう1つは04年8月、義父が亡くなった直後の試合で本塁打を放った。お立ち台に立つことができた。

 「誰かから力をいただいている」

 甲子園の空を見上げ、天国の恩人に気持ちを伝えることができた。

 トロフィーでもメダルでも数字でもない。桧山のプレーは人の心に刻み込まれてきた。だから、これほど愛される。だから、代打桧山のコールに甲子園はあれほど沸き上がる。

 「あのコールがあって、ネクストでよーしやってやるぞという気持ちになる。自然と自分の打席に向かうルーティンみたいなものにもなっていた。あの歓声は誰でも味わえないし、こんなにみんなに愛されている自分というのは、幸せ者だなと。感謝の気持ちでいっぱいです」

 引退会見で無数の思い出が脳裏をよぎった。球団内では早くも将来の監督候補だと声もあがる。だが、まだ終わりではない。最後の戦いが残されている。やり残したことは、と問われると即答した。日本一-。

 「忘れ物を取りにいかないとね。忘れ物は、自分が発した言葉なんで」

 まだ経験していない悲願を達成するチャンスは残されている。虎の一時代を築いた男の物語には、もう少し続きがある。【鈴木忠平】

 ◆桧山進次郎(ひやま・しんじろう)1969年(昭44)7月1日、京都府生まれ。平安-東洋大。91年ドラフト4位で阪神入り。95年から外野レギュラー定着。97年開幕戦など球団73代目4番として301試合に先発。96年から2年連続シーズン全試合出場。01年は28試合連続安打、03年7月2日中日戦(甲子園)ではサイクル安打を達成した。97、02、03年球宴出場。06年から主に代打の切り札で活躍。推定年俸3800万円。177センチ、78キロ。右投げ左打ち。