<東京6大学野球:明大15-7東大>◇第7週初日◇23日◇神宮

 明大・野村祐輔投手(4年=広陵)が7回4失点7奪三振で東大に勝ち、昨年の早大・斎藤佑樹(日本ハム)に次ぐリーグ史上7人目の「30勝&300奪三振」を達成した。1季自己最多の6勝目で、30勝は史上22人目。打線が1回に8点を奪うなど野村を援護した明大は、勝ち点5の完全優勝に王手をかけた。

 喜び半分か。偉業達成にも野村は表情を変えず切り出した。「(リーグ発足87年目の)長い歴史の中で、7人目という(30勝&300奪三振の)記録を成し遂げられたのは光栄です」。1回裏に自らの2点二塁打などで一挙8点。大量リードに「相手に合わせてしまった」と気の緩みもあり2、3回で7安打を浴び4点を失った。それでも5回からの3イニングで5奪三振。27日のドラフトで1位指名確実の右腕は、試合を引き締めマウンドを降りた。

 177センチ、72キロと大きくない体で1年春からベンチ入りを続けた。外れたのは新型インフルエンザにかかった2年秋の東大戦のみ。だがその2年時は試合で脱水症状を起こしたり、片頭痛で降板を申し出るなど、か弱さが同居していた。

 生まれつき体は強くはない。0歳から気管支ぜんそくを患った。4歳のとき「親が病気を考えてくれて」(野村)と集合住宅から同じ岡山・倉敷市内の一軒家に転居。病を克服し、そこで出会った友人の誘いで野球を始めた。「それまではサッカーボールを蹴る方が多かった。引っ越さなければ、今の自分はいませんね」。この日のウイニングボールを「実家に送ります」と父武志さんと母真由美さんへの感謝を忘れない。

 そんな野村だから、大学入学時にプロは頭になかった。転機は大学日本代表で出場した2年秋のNPB選抜との試合。広島前田健の直球に驚いた。「速い。でも表示は140キロだった」。プロを意識し、球の強さを求め出した。今年はチームの方針もあり「体が硬くなる」と避けていたウエートトレに着手。下半身を鍛え上げ、30個目の勝ち星に結び付けた。高3夏、甲子園決勝の佐賀北戦で逆転満塁弾を浴びた、悲劇のヒーローの姿はもうない。「メイジの野村」として、その名を残す投手にたくましく育った。【清水智彦】